Daily  たまのさんぽみち


教育についてのひとりごと
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  2000/7/28(Fri) <イワンのばか>

 HPをひらいていると、時折、見知らぬ人からメールをちょうだいするのであるが、今朝はまた思いもかけない方面の人からメールがやってきた。その人は、「学校の試験勉強(ロシア文学)」で「トルストイの説く人間の理想的な姿とはどんなものか、それについてどう考えるか」という問題が出されたという。それで私のHPの今週の一冊のトルストイ『イワンのばか』のページを探し出して、何らかのヒントを得たとのこと。ほ〜う、と思いつつ、もう一度『イワンのばか』のページを読んでみたところ、何だかあやしげだが面白そうなことが書いてある。半年ぐらいしか経っていないが、自分で書いたことをすっかり忘れていた。私も「イワンのばか」に少しずつ近づきつつあるのか?何はともあれ、自分の妄想が電脳空間をかけめぐって、神聖な「学校の試験」の回答になっていると思うと、愉快である。



  2000/7/27(Thu) <らくちん、自転車通勤>

 ひたすら暑い夏だったが、昨日から雨が降り、一段落。ちょっと涼しくなったので、また休み中の楽しみの自転車通勤をはじめた。自転車で片道15kmの通勤をしていると、みんな「大変だろう」「ごくろうさま」「よくがんばるね」とあきれた顔で労をねぎらってくれるのだが、実は電車で来るよりもずっと「らくちん」なのである。直線距離で15kmぐらいしかない大学まで、いつも三つの電車を乗り継いで通っている。駅数は2駅、1駅、4駅でわずかしかないのだが、乗り換えだけ多い。自転車を駅前の地下駐輪場に入れるところから始まって、実に階段が多いのだ。4つの階段を上り下りして、最後は大学への地獄坂が待っている。実に厳しい。これに比べると、自転車はただペダルを漕いでいるだけで、いつの間にか大学に着いている。坂道もほとんどないし、電車を待ってイライラすることもない。う〜ん、自転車はすばらしい。



  2000/7/24(Mon) <早起きは三文の得?>

 ひたすら暑い夏が続く。これは涼しい午前中に仕事をするしかないと、早起きして大学にやってきた。4時30分に起きて、5時20分に家を出ると、電車もよゆうで座って、6時30分に大学に着いた。よし一番乗りだ!とはりきっていたところ、電光掲示板(教員の在・不在が一目でわかるようになっている)をみるとなんと先客が3名もいて、ショック。上には上がいた。清瀬の駅前駐輪場の開く時間、バスの始発の時間を考えると、これより早く着くのは難しい。一番乗りをゲットするためには、自転車で直に大学まで来るしかないか。ところで、研究室が居心地がいいのか、家が居心地が悪いのか、どちらかは不明だが、東京経済大学の先生たちは、なんとも勤勉である。



  2000/7/21(Fri) <皆既月食のこと>

 話題は少しさかのぼって、皆既月食のこと。妻が毎日新聞の日曜版を読んでいて、地球で月食のときに、月では日食が起こっているという記事に反応した。たしかに、月食のとき、太陽と地球と月がこの順番で一直線に並んでいるわけであり、月からみると、地球がじゃまになって太陽の光が遮断されているはずである。地球では、月食はしばしばみられるが、日食はまれである。でも、月では、日食はしばしばみられるが、地球食はまれなはずである。月での地球食(地球での日食)の場合、太陽と月と地球がこの順番で一直線に並ぶ。しかし、月のほうが地球よりずっと小さいので、月の影は、地球の一部にしかできない。だから、日食は地球ではごく一部の地域でしかみられないし、月では皆既地球食というのはあり得ず、部分地球食しか起こらないはずである。
 視点を地球と月とに交互に入れ替えていくことによって、いろいろ面白いことが見えてきた。これまでこんなことは考えたこともなかったのだが、大人になってから発見し、楽しめることもたくさんある。立場を変えて、いろんな思考実験をしてみる快楽は、知の快楽の根っこにあるものだろう。



  2000/7/17(Mon) <プレ合宿>

 先週は、ゼミ漬けの日々だった。週末に東京経済大学の東村山校舎で「プレ合宿」なるものを開催した。本合宿は9月にやるのだが、9月に行けない学生のために「プレ合宿」をやるのである。今年のゼミ生は、自分で動ける学生が多く、教師としてもひじょうに助かっているし、頼もしい。
 しかし、「いい学生」に安心していると、危ないんだな、これが。ついつい「いい学生」には「期待」してしまい、「いい学生」は「期待」されると「期待」に応えようとがんばってしまい、息切れしてしまう。「期待」もまた「いい加減」な程度で、「期待」を裏切られることを楽しめるぐらいではないと。まあ教師としては、学生になついてもらえるほうがうれしいんだけどね。でも、これは一つの通過点であって、やっぱり「いい自分」も「悪い自分」も安心して出していける学びの空間をめざしたいですね。



  2000/7/12(Wed) <佐藤学先生に会いにいくツアー>

 今日、ゼミの学生たちとともに、佐藤学先生に会うツアーに出かけた。佐藤先生は、私の大学、大学院での恩師であり、一度、東京経済大学の学生たちにも出会わせたいと思っていた。就職4年目にしてようやく実現した企画というわけで、朝からはりきって出かけた。
 学生よりも私のほうが緊張して、しどろもどろだったが、そこはさすがは佐藤先生、場の雰囲気をあっという間にリラックスさせ、そこからはもう独壇場であった。私がへんな質問をするよりも、学生に任せていたほうがずっと面白く、話は少年犯罪から、家族関係の問題へと展開した。最も印象に残ったのは、大人が子どもにこびてはいけないという話だった。こびるというのは、かまうということとは違う。佐藤先生は、子どもをかわいがりすぎるといけないというのは全くのウソであるといわれた。問題は、子どもをダシにする大人の存在にあるという。大人の都合のために子どもを使う、すなわち、自分自身を生きることを怠り、そのツケを子どもに託すズルさである。問題を起こす子どものまわりには、成熟しきれない親や教師がいるといわれた。
 佐藤先生の話に、私と学生たちはぐいぐい引き込まれ、約束の1時間半がほんとうにあっという間に過ぎ去った。悔しいけれども、話を聞き終わったあと、学生たちの顔が輝いているのだ。私もよし学ぶぞ!という気持ちがわきあがってきた。振り返ってみると、佐藤先生のことばは、論理のことばであるとともに、祈りのことばであるように思われる。宗教のことばが力をもっていたとき、きっとそのことばは今の佐藤先生のことばとひじょうに近いものがあったのではないだろうか。学びの地平の向こうに祈りの世界がひろがるならば、時間はかかってもこの道を歩んでいこうと、励まされる一日だった。



  2000/7/6(Thu) <盛り上がるおじさんたち>

 昨日、「教育方法」と「現代社会と人間」の前期の講義が終わった。「教育方法」は、グループでの模擬授業の発表だったが、すばらしい出来映えのグループと、あららららと思わされたグループの格差が激しかった。ペットボトル飲料の費用のうち五十円ものお金が容器に使われていることといった身近な問題から出発しながら、日本とドイツのリサイクルへの取り組み方の違いに迫り、消費者と企業の利益が優先され、生活者と社会的な富がないがしろにされている日本の社会システムをわかりやすく解説したグループの発表は、大学の講義も真っ青なレベルだった。また、カラスとゴミをテーマとして、山に住むカラスがゴミに引き寄せられて街に出てきて、害鳥として扱われていることを問題としたグループの発表は、カラスの害を誘発しているのが人間であることを説得的に示し、カラスをスケープゴートにするのではなく、生活のあり方を問うことをメッセージとして送ってくれた。この発表は、夜型の生活を促すことに等しいNTTのテレホーダイがまかり通りながら、生活のリズムが狂った人々を非難したり、考えさせない教育をやっていながら、考えない学生に憤っているようなあり方に対する強烈な批判になっているように思われた。学生の発表からいろいろと考えさせられた。
 さて、本題は、続く「現代社会と人間」である。前期の最終回ということで、新進気鋭の映画監督松江哲明さん(22歳)をゲストとして呼んで、パーティを開いた。松江さんの映画はダイジェストだけだったが、強烈なインパクトがあった。在日韓国人三世の松江さんは、今の普通の日本の若者のように暮らしていたが、15歳のとき、祖父が「哲明、バカヤロー」と言って死んだことから。祖父のことばの意味を考える旅に出発する。祖父にまつわる人々の話を聴き、祖父のおいたちを知るなかで、松江青年は、自分のルーツというものに出会っていく。自分は日本人なのか、韓国人なのか、苦悩する松江青年。根っこを知ったことにより、彼は知らなかったときよりも、苦しくつらい、しかし深く思いやりのある人生を歩むことになる。そして、個人的なことを社会的な問いとしてつなげていく回路を、映画という表現媒体のなかに見出していくのである。
 パーティでは、残念ながら、学生たちは決まった時間が終わると、帰っていった。残ったのは、松江さんとマネージャー、そして教員のおじさんたちだけである。おじさんたちは、夜の授業も抱えながら、酒を飲み、熱く語っていた。学生のいない生協の片隅で、教員だけが、この「現代社会と人間」はいい授業だと、語り合っていた。熱く語るのは、おじさんで、飲んで食べて帰る学生はちゃっかりと現実的である。思えば、大学院時代、指導教官から焼き鳥数本とビールで3時間近くありがたい教えをちょうだいした日々を送ったものだった。当時は、説教代にしては安すぎる、もうちょっといいものを食べさせてくれ!と思っていたが、今にして思えば、もう二度と得ることができない贅沢な学びの環境だった。この日、学生たちは説教に耳を傾けることなく去っていった。私に指導教官のような吸引力がないからだろう。そう考えると、ちょっぴり寂しくなったが、それでも、教員同士、労をねぎらい、次のアイディアを考えるこのひとときも、十分楽しいものだった。



  2000/7/1(Sat) <脳の輪切り>

 木曜日の夜、頭の血管が切れるような痛みが走り、これはヤバイなと思っていたところ、痛みが続くので、その部分をさわってみると、なんとそこにはコブのようなものができていた。「ああ、これは脳しゅようかもしれない。短い人生だった」と悲嘆しながらも、ホッとしつつ、帰宅した。病院嫌いな私だが、「最近、自分の頭がわるいのは、脳みそがいかれているからにちがいがない」と、翌日、脳外科に行った。すると、人生の終わり方をあれこれと深刻に考えている患者に対して、医者は「それはたんなるストレスですよ。脳の血管の問題だったら、外からさわって痛いということはあり得ないし、脳しゅようの確率は宝くじで当選するぐらいですね」とつれない。「安心料としてCTスキャンをやりますか」といわれたので、「お願いします」ということで、いよいよ私の脳が神秘のベールをはがされることになった。
 ボクシングのヘッドギアのようなおさらに頭をのせて、あおむけになって横たわると、私の頭は、何だか知らない装置によってスキャンされた。この光線か、なにかで、アホになりはしないかと心配したが、もう相当のアホだから、これ以上アホにはなりようがないだろうとぶつくさ考えていると、あっという間にスキャンは終わった。そして、病院待合室の熱帯魚を見ながら、運命のときを待った。
 診察室に呼ばれたら、私の脳の断面図がそこにかけられていた。はじめてご対面した、自分の脳。まさか生きて自分の脳をみる日が来るとは!「まったく問題がないきれいな脳です」といわれた。脳しゅようの脳の写真とくらべたら一目瞭然である。私の脳には、異物は入っていなかった。それから「人間の頭は思った以上に非対称なものです。たまたま痛かったところがでこぼこしていたのでしょう」といわれた。「う〜ん」。頭を使いすぎて、脳がおかしくなったのね、かわいそうな私の脳、というような物語にうっとりとしていたのに、頭を使っていないことがバレてしまった。う〜ん、それでも異常がなくて、うれしい。



  2000/6/29(Thu) <本郷散策>

 先日、文京区本郷の路地を散策する機会に恵まれた。考えてみると、本郷には9年もの間、通い続けたわけだが、大通りから一歩入った世界はほとんど知らないままだった。おそらくこれまでわたしはそのような生き方をしてきたのだろうが、三十路に入って、路地を自分のペースで歩く時間をもって生きていきたいと思うようになった。
 さて、有名な菊坂(この坂に沿って、その昔、出荷用の菊が栽培されていたということを今回はじめて知った)を、西片のほうから本郷3丁目方面にのぼっていくと、樋口一葉があししげく通ったという白壁の質屋があった。続いて、一葉が使っていたといわれる井戸を探していたところ、宮澤賢治の東京での住まいあとも発見することができた。そこは谷底である。谷底にいると、まわりの高台にくらべて、なんとも自分が情けない、みじめな気持ちになってきた。東京に出てきた賢治の精神状態も、あるいは、同じようなものではなかっただろうか。
 しかしながら、下町の谷底に住む人々のくらしは、飾り気がなく、何かホッとさせられるものがある。道を尋ねた八百屋のおばちゃんの答えは「あの看板の横の階段降りて右にいけばすぐわかるよ」とぶっきらぼうで愛想ない。小さな路地に入ると、昔風の長屋づくりの家が所狭しと並んでおり、プライバシーなどあったものじゃない。牧原さんの授業で語られた「夫婦喧嘩も筒抜け vs. 家の恥を隠す」のまさに前者の生活がここにはあった。濃密な共同体、しかし、よそものである賢治には、苦しいところだっただろう。
 歴史は、都市のなかにひっそりと宿り、今もなお受け継がれている。


  2000/6/20(Tue) <今年もまた教育実習>

 今年もまた教育実習のシーズンがやってきた。4年目となり、私と同じ1997年に入学した学生が4年生となって、母校に戻っていった。教育実習は、日々会っている学生のバックグラウンドに接する機会でもある。この学校で育って、今この学生があるのか、とか、いろんなことを考えさせられる。また、教育実習は、教職生活のミニチュアであり、教師にとって同僚性が重要であるのと同じように、教育実習生同士が学び合う関係を創れている学校では、総じて、教育実習生は力を発揮している。教えるという営みは、狭い教材研究だけではなく、日頃の学び方、人とのかかわり方、さらには、学び手の力、場のもつ力、場をつくってきた数多くの人々の支えによって成り立っているということを、今年ほど思い知らされたことはない。考えてみると、質の高い授業を行った学生ほど、謙虚であるが、それは彼らが数多くのものに支えられていることをいつも自覚しているからなのだろう。


  2000/6/11(Sun) <糸井重里はおもしろい>

 ほぼ日刊イトイ新聞(これでいいんだっけ)「略称“ほぼ日”」という有名なHPがあるが、これがとっても面白い。ここの管理人さんの糸井重里は、めっぽうインタビューがうまいのだ。インタビューを通して、これまで平面しか見えていなかったものが少しずつ立体的に見えてくる、そのプロセスが面白い。糸井重里に注目したのは、ゼミの学生が『二十歳の頃』の発表で、彼を選んだことがきっかけだった。『二十歳の頃』と「ほぼ日」を読みくらべながら、糸井重里にとって、学生運動の中でつかんだ<真理って何だかうそくさい>という感覚が、現在までずうっとつながっていることが、私のなかですとんと落ちてきた。インタビューって技法は、一つの真理を求めるというよりも、山あり谷ありの人生を通して得られた人々のさまざまな見方の発見だったり、わかっていると思っていることのわかり直しだったりする。糸井重里は、いかがわしい真理に対して、もう一つの真理をもってたたかうのではない知の方法を、インタビューによって模索しているのだろう。



  2000/5/27(Sat) <若い旅人>


ゼミで公開インタビュー(私がお手本????としてインタビューをする)を
行う予定の先生からアンケートが帰ってきました。戦後の伸びやかな時代で
育ってこられた様子が伝わってきて、インタビューが楽しみになると同時に、
ちょっぴりうらやましいような気持ちです。

学校は( 旅集団 )のようである
生徒は( 若い旅人 )のようである
親(生徒の)は(年輩の旅人・仕事人)のようである
同僚の教師は(道案内の親方達)のようである
そして教師である自分は(迷い多い道案内人 兼 世話係り)のようである

(その理由)
一定の集団で同じ時を共有し、さまざまな事件や問題に出会いながら
だんだん気心もしれて、互いによいところ、悪いところも分かって
影響しあいながら成長して行く。
砂漠のようなところでなく、出来れば自然環境のよいところを行きたいが、
どこだって照る日もあれば曇る日もある。困難な時に人間がためされる。
ある人ならどう考え、どう解決するだろう?と参考にされるような大人で
いたい。信頼の上に自律心をそだて、やがては一人でもしっかり歩いて
行ける人に皆が成長してほしい。

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コメント: 学校って旅集団なんてステキですね。
     この文章を書き写しながら、昨年の北海道合宿の
     ことを思い出しました。旅はいいことばかりでは
     ありませんが、いくつもの思い出が自分のなかに
     結晶として生まれます。旅は終わったあとも何度
     も反芻するなかで、その意味が問い直され、そし
     て、自分が成長するための目印になるように思い
     ます。

      お話を聴くのが楽しみです。

 もう一つ、先々週の「現代社会と人間」という1年生向けの
オムニバスの授業で、条件づけの愛と無条件の愛というテーマで、
日本史の牧原先生が授業をされました。なんと中島みゆきの音楽も
かけられて

(「誕生」という歌知っていますか?

 ひとりでも私は生きられるけど
 でもだれかとならば人生ははるかに違う
 強気で強気で生きてる人ほど
 些細な寂しさでつまづくものよ

 という出だしの歌です)

 音楽だけでなく、授業の内容もとても感動的で、何だか涙が
ボロボロ流れました。曲は『大吟醸』というアルバムに入って
いますので、ぜひ一度聴いてみてください。

 私も感動してさっそくこのアルバムを買ってきたのですが、
つくづく中島みゆきはすごいと思います。だって1970年代以降
みんなが強がって生きなくてはならない時代に、ずっとあなたは
あなたのままでいいんだよというメッセージを語り続けたわけ
ですから。

それではまた

<ごぶさたです。わけあって、文体(スタイル)を変えてみました>



  2000/5/2(Tue) <水>

 しばらく前のことになるが、日本名水100選の一つ、静岡県の柿田川湧水群を訪ねた。周囲の開発などで水涸れが心配されていたが、色鮮やかなライトブルーの砂のはざまからコンコンと豊かな水が湧き出ており、何とも言いしれぬ感動を受けた。富士に降った雪、雨が地中深くしみこみ、幾重もの地層で浄化されながら、柿田川に湧き出ているのである。湧水群は歩いてまわれる広さだが、この水が生み出されている背景には、雄大な富士山のふところの広さと、熟成されるまでの長い時間がある。



  2000/4/13(Thu) <バッティングセンター>

 趣味で野球をやっているので、暇を見つけてはバッティングセンターで打ち込みをしているのだが、最近、おやっと思うことがある。子ども連れのお母さん(お母さん連れの子ども?)の姿をちらほら見かけるのである。もちろん、おんな子どもはバッティングセンターに来るななんて言っているわけではない。気になるのは、お母さんが横から“指導”を入れていることである。「もっと球をよく見て、見ていないわよ、ほら、あのおじさん(もちろんわたしのことではない(笑))のようにやりなさい」などなど、騒々しくて大変である。
 簡単にジャストミートしているように見えるあのおじさんだって、きっと中学、高校と厳しい練習を耐え抜いた人だと思うし、バッティングというのは、ほかのわざと同じようにそんなにすぐにできるようになるものではない。わたしは、「自分がやってみればいいのに」と心の中で思いながら、その場をあとにした。もちろん、自分がやれなければ指導できないというわけではないと思う。ただ、自分がやれないという自覚とつつしみをもって、かかわっていくことの大切さを教えられ、家路についた。



  2000/4/8(Sat) <内部と外部のちょっとした話>

 今日は大学の学修相談というのがあり、朝からずっと新入生のカリキュラム作成の相談にかかわっていた。そして、ひたすら疲れ、学生に同情するに至った。何ともまあ大学のカリキュラムというものはあまりにもややこしいのである。おのおのの学部、学科、課程で、頭脳明晰な先生方がよかれと思って、こうやって、こうやって、こうこうやると、どこに出しても恥ずかしくない学生が育つとばかりに、綿密なカリキュラムをつくっている。一つひとつのカリキュラムは、なかなか立派なものである。ところがユーザーである学生からすると、一つの専門を究めるわけでもなし、語学だけをやるでもなし、教職課程にだけ専念するでもなし、いろんなものをこなしていかなくてはならない。一つひとつが立派であっても、学生という観点から眺めると、まったく違った風景が見えてくるのである。
 私たち教員は、学生が講義概要を読み、講義内容に関心のもって出席してくれることを望んでいる。ところが、学生サイドからすれば、時間割を埋めることで精一杯で、講義内容どころではないのである。どうもこの問題は、内部と外部の問題にあるのではないかとふと思った。これまでは東京経済大学は単科大学のようなもので、大学として一つのカリキュラムをもっているようなものであった。ところが、学部が増設され、総合大学化していくにつれ、大学の内部に、さまざまな内部が生まれてしまい、内部では完結しているが、その内部からみると外部にあるまたほかの内部との整合性があやしくなってきたのである。これは大学のカリキュラムだけの問題ではないだろう。
 一昨年度のオムニバス講義『現代社会と人間』の冒頭に、日本近代史の牧原さんが「近代とは囲い込みから始まった」とおっしゃったが、まさに囲い込み、内部と外部にわけ、小宇宙の整合性を追求し、にっちもさっちもいかなくなったのが近代というシステムであるように思われる。自動車は、これこそ近代の象徴ともいえるモノであるが、内部はリラックスできて快適だが、外部は騒音と排気ガスと危険という三拍子が揃っている。まあ内部が増えすぎたことにより、渋滞による時間のロスとストレスというかたちでブーメランのように内部に歪みが戻っているのだが。
 疲れて頭が働かないので、ここらで筆をおさめるが、小さな内部をいくつも作り、そこで専門家がおせっかいをして、子どもの口に食べ物を詰め込むよりも、どぼんと大きなお皿を出して、「好きなものを食いなさい、おなかが痛くなったら、いつでも相談にのってあげる」と大人が見守っていくことが(材料と道具を与えてつくらせたらもっといいでしょうね)、子どもも大人もストレスがたまることなく、自分の課題に取り組んでいくためには、ましなシステムではないかと、わたしは新しい研究室にて考えるのでありました。というわけで、ずぼらな教師としての生き方を悔い改めないことを決めた今日一日の出来事でありました。じゃん、じゃん。



  2000/4/5(Wed) <研究室のお片づけ>

 今日は朝から雨が降っており、研究室の片づけもかったるいと思っていたところ、ちょうどいいタイミングで4年生の学生が研究室を訪ねてきた。卒論についてどうしようか悩んでいるということであったが、私は“かもがねぎしょってやってきた”とばかりに、「研究室の片付けを手伝ってくれる?」とさそいかけ、話を聴きながら、片付けをすることになった。思い出すのは、私が同じ大学生4年生のとき、卒論指導会でこけおろされたあと、認知心理学の佐伯胖先生の研究室を訪ねていったことである。佐伯先生は学生から圧倒的な人気を誇る先生で、なかなかゆっくり話す機会などもてなかったのだが、そのときはちょうど研究室の片付けの真っ最中で「ちょうどいいところに来た、高井良くん、手伝ってくれ」と言われて、膨大な書類をかきわけながら、私のグチを聴いてもらったことである。学びは周辺から生まれるというか、リラックスした状態で対話をすることによって生まれる。今回の学生も最後に何か自分のなかからテーマを掴んだようで、光を見出して帰っていった。これに味をしめた私は、部屋の片付けはしないで、次の獲物を待つことにした。さてさて、そううまくいくものかどうか。



  2000/4/3(Mon) <研究室のお引っ越し>

 入学式を明日に控えて、この週末、研究室の引っ越しをした。東京経済大学は創立100周年ということで空前の建築ラッシュを迎えているが、その一つとして新研究棟が設立された。新築マンション顔負けの豪華な研究室である。それでは、そこへ引っ越すのかというと、おっと違う。そこへ移る人のあとに引っ越したのだ。前と同じ古い建物の同じフロアー。何が違っているかというと、これまでは西向きだったのが、今度は東向きになったということである。私はそもそも古い都営住宅が好きな人間なので、研究室も古い長屋風の東京経済大学第一研究棟がお気に入りなのだ。しかしながら、これまではわりとよかった西向きの研究室が建築ラッシュなどでかなり環境が悪くなり、今度、引っ越すことにしたのだ。同じ長屋でも、窓の位置が違うだけでずいぶん雰囲気が違う。今度は、東京経済大学の最もいいスポットである図書館とその前の噴水を向いている。考えてみると、昨年度は、大学ではほとんど仕事をする気にならず、自宅で研究をするスタイルに変えてしまったのだが、これも研究室の周りの環境が悪くなったせいかもしれない。私は環境に左右されやすい性質(たち)なので、自然に研究室から足が遠のいたのだろう。今度の研究室は、雰囲気がいい。前の住人の方もよくここに住んで(いや、研究して)おられたが、いいものを受け継ぐことができた。あとは、引っ越しの度に思い知らされる整理整頓のなさ、ぐちゃぐちゃな書類の山(これは私の頭の中と相似形なのだが)に重々懲りて、ゴミの少ない人生へと改心するだけだ。今年はゴミの少ないゼミ、ゴミの少ない講義を目標にしよう。(ゴミのおとこより)




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