Daily たまのさんぽみち
教育についてのひとりごと
1998/2/1-1998/3/31
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1997/12/1-1998/1/31
1998/3/31(Tue) いよいよ明日から新年度がはじまる。ぴりりと気分が引き締まる。
春休みの間、自宅の近くをしばしば自転車で探検した。そして、米軍基地、産業廃棄物処
理施設など、見知らぬわが町と出会うこととなった。現代社会の光と影、自分自身の生活
がブーメランのように跳ね返って戻ってくる、そういう時代になったのだ。
教育の問題がひんぱんに語られるようになったのも、ブーメラン的な時代の様相とつな
がりがあるに違いない。環境問題にしても、ダイオキシンにしても、自らの消費行動が、
自分の首をしめている。教育問題もまた、いのちをコントロールできるという思い上がり
が、そのつけを払っているように思う。『少年H』妹尾河童(講談社)を読むと、Hの父
親のすごさに感銘を受ける。とことんHを受容する父親。そして、一個の人格としてHを
を尊重する父親。ものすごいのだ。少年は、いつも理不尽だ。その理不尽と一生涯賭けて
格闘するのだ。それが人生だ。理不尽がなければ、人生もない。理不尽を理不尽のまま、
支えきるちからが、自分にあるかと言われれば、一言もない。しかし、理不尽の前にとも
に立ちつくす忍耐をもちたいのだ。
1998/3/18(Wed) 昨日の続き。新座市のすてきな小学校の先生がお母さんたちと一緒に
カタクリの木の紙芝居を作って、小学生たちに読み聞かせをした。わたしもその先生の紙
芝居にうっとりとして聞き入った。カタクリの実は、何年も何年も地中にいて、ある年、
ようやく芽を出し、葉っぱを一枚だけ出すそうだ。そして、冬になると、落葉し、次の年
の春が来ると、また葉っぱを一枚だけ出すんだって。そして、また次の年も、さらにその
また次の年も、葉っぱを一枚だけ出すカタクリの木。同じことをくりかえしているみたい
だけど、土のなかではしっかりと根が強くなっている。小学校2年生向けに作った紙芝居
なのに、小学校6年生がものすごく感動したんだって。
わたしもまた、今年度、葉っぱ一枚の1年間をなんとか過ごしてきて、また来年度も葉
っぱ一枚の一年間になるんだろうと思う。でも、人が育っていくことって、そういうこと
だと気づかされたとき、なんだか温かいちからに包まれるような気がした。この紙芝居を
観て、わたしは雑木林をさがしに、さんぽにでかけたのだった。
雑木林
1998/3/18(Tue) 春休み、時間がとれるときには、自宅の近くをさんぽすることにして
いる。地にあしのついたところから、来年度の授業や研究のデザインを考えたいからだ。
今日は、自転車に乗り、清瀬に隣接する埼玉県新座市にカタクリの生息する雑木林を求め
て、さまよった。その途上にて、わたしは在日米軍のレーダー基地(?)に迷い込んだ。
清瀬は落ち着いた静かな町だと思っていたところ、思いもかけない風景だった。基地のま
わりは舗装されていない道が、おそらくジープなどが通るからであろうか、でこぼこした
穴をうがち、まさに「見知らぬわが町」だった。あしもとに別の世界がひろがっていたの
だ。
在日米軍のレーダー基地
1998/3/11(Wed) 今日、1時間半かけて自宅から自転車で大学に通勤した。地図もなく
太陽の位置だけを手がかりにひたすら南に向かって進んだ。最初、幹線道路の小金井街道
を走ったが、道の悪さと大型トラックに身の危険を感じて、裏道を行きつ戻りつしながら
進むことにした。そうしたところ、一気に気分が軽やかになり、道程を楽しめるようにな
った。ちょっと道を外れることで、楽しみながら、生きていける。大学のゼミでも、幹線
の排気ガスのなかを遮二無二進むのではなく、脇道をゆったりを進めたら、お互いにとっ
てよりよい学びの関係が生まれるのではないかと思い、脇道を楽しみながら目的地に辿り
つくことを一つのスタイルにしようと決めた。
清瀬の風景
1998/3/2(Mon) 昨晩、NHKのドキュメンタリー「家族の肖像」を観た。イスラエル
のラビン首相の生きざまは、胸を打つものがあった。軍人として名声をほしいままにした
ラビンは、武力では何も解決しないことを悟り、中東和平への険しい道を歩み出す。仇敵
だったPLOのアラファト議長との和解という苦渋の決断をしたが、国内の保守派の青年
に暗殺され、その生涯を閉じることとなった。
しかし、ラビン亡き後、妻のレアはその遺志を継ぎ、和平を語り歩いている。レアの顔
に刻まれた深い皺は、彼女の生きてきた道の厳しさ、険しさをあらわしている。しかし、
ラビンとレアの、矛盾を抱えつつ、和平の狭き門へと向かう真摯な生き方が、あとに続く
子孫や人民たちに、確かな指針を与えてくれているのだ。
1998/2/19(Thu) 『文藝春秋』3月号の酒鬼薔薇少年の調書を読んだ。ここに記されて
いた事細かな犯行のプロセスを辿りながら、何ともいえない気分になった。他者にもかけ
がえのない世界があるということがどうして理解できなかったのだろうか。おそらく、祖
母の死以降、酒鬼薔薇少年自身にかけがえのない世界が欠落していたのだろう。ひとが実
在する世界とのつながりを失ったとき、すべては虚無となり、ひたすら堕ちていくしかな
くなる。少年法云々というような矮小な問題ではない。家族のなかで、友だちのなかで、
学校のなかで、社会のなかで、「普通の」一人の少年が実在する世界とのつながりを失っ
てしまったという恐るべき事実が問題なのだと、わたしは思う。
1998/2/10(Tue) 先週の金曜日(2/6)、東村山市の第七中学校の公開授業に参加した。H
R(ホームルーム)の進路指導の実践で、わたしは2年1組の教室に入って、一つの班に
とけ込んで生徒たちと一緒に作業などをした。中学生はこわいというイメージが、ちまた
にあふれているけれども、わたしが出会った中学生たちは決してそうではなかった。一時
間をともに過ごし、お互いに挨拶をする仲になり、とてもうれしく感じた。もちろん、今
の中学生がさまざまないらだちや悩みを抱えているのは見過ごしてはならないだろう。だ
けど、彼らはそれだけではない。大人がどのような生き方をしているかに興味をもち、新
しい自分を作りたいという願いももっているのだ。それにしても、難しい状況のなかで、
教室でのなごやかな人間関係を準備されているこのクラスの先生の働きに頭が下がる思い
だった。
東村山第七中学校2年1組の人々
1998/2/3(Tue) 先週末(1/31)、国分寺市の教育フォーラムに参加した。長い間、養護
学校などで教職生活を過ごし、退職ののち郷里の福島県三春町で教育長を務められた武藤
義男先生のお話は、期待を上回る充実した内容で、大変感銘を受けた。ここで痛切に思わ
されたのは、「あしもとからの教育改革」ということだった。武藤先生は、子どもの声、
教師の声、地域の声にひたすら耳を澄ましながら、教師が命令することをやめることを貫
くことによって、学校を再生する道を切りひらかれたのである。このときにとられた方法
は、情報を公開するというものであった。学校が荒れているという現状を、学校の教師た
ちは隠したがるけれども、地域の人たちを集めて、すべてを明らかにし、地域の人たちの
力も借りながら、子どもたちを支える方法を考えていく。このシンプルな方法によって、
学校は生まれ変わったのだ。
今、ナイフをもった中学生たちの事件が新聞紙上を賑わわせている。しかし、そこで大
人たちが、中学生にナイフをもたせないようにするという対症療法しか思いつかないとし
たら、何という想像力の欠如だろうか。ナイフをもたなくては生きていけないような危険
な空間に、ナイフをもたなくては安心できないような弱い自我が集まっている現状を、問
い直していかなくてならないのだ。その出発点は、中学生の身体とこころをまず抱きとめ
てあげるところにあるのではないだろうか。「子どもたちを甘やかしてきたからこうなっ
たのだ」というような言説にしばしば接するが、ほんとうに甘えることができた者は自己
肯定感をもち、安定した自我を確立できるはずである。自我の弱さからの「キレ」はほん
とうに甘えることができなかったこととつながっているように、私は思う。「情報公開」
と「抱きとめ」。これが二つのキーワードだ。
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