Daily  たまのさんぽみち


教育についてのひとりごと
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  2000/3/31(Fri) <清瀬の春・カタクリの里>

 新しいシーズンが始まる直前、清瀬の春を満喫しようと散策に出かけた。私たちが住んでいる清瀬の中里には、武蔵野の雑木林が残されており、北側にある斜面には、東京では珍しいカタクリが自生している。カタクリはじっくりじっくり育っていく植物で、春になると一枚の葉っぱを出すが、やがて葉は落ちて、まるでいなくなったかのように雑木林のなかに埋没し、また次の春に一枚の葉っぱを出す。一枚の葉っぱでのごあいさつを8年間続けて、その間に、根っこにしっかり力をたくわえ、9年目にようやく双葉をひろげる。そして、薄紅色のきれいな花を咲かせるのである。
 大器晩成の言葉通りの花である。カタクリが育つのは、夏でも温度が上がらない雑木林の北斜面のみ。北国では珍しくはないそうだが、東京では、この条件を満たすのはわずかな場所しかない。こうした場所が守られているのは、ボランティアの人々の献身や行政の努力のおかげである。ひとたび努力を怠ったら、たちまちのうちに、緑は失われていく。緑とともに生きていく豊かさの価値を認め、次の世代に継承していく生き方をしていこうと思わされた。



  2000/3/24(Fri) <フリースペースたまりば再訪>

 この3月で卒業する学生とともに、再びフリースペースたまりばを訪れた。10時半の開所から夕方までいたが、無理を強いることのない空間の中では、いくつもの時間の流れが共存し、流動しながらも濃い関係性が生まれている。一回目には、あまりの異質さに驚きの連続だったこの場も、二回目になると、この場の流儀と作法が身についたのか、あまりにもあたりまえのように、大人らしさとかにこだわることなく、いろんな人たちとつながりをもち合えた。
 ここはインドのカンジス川のようなところである。生もあれば死もある。美もあれば醜もある。知もあれば無知もある。人間の営みがまるごと肯定されている。というか、人間の営みをまるごと肯定するような生きるあり方が、志向されている。
 何よりも新鮮だったのは、山登り(がけ登り)と缶蹴りだった。缶蹴りなんて何年ぶりだっただろうか。子どもとともに本気で遊んでみると、今まで見えていた空間とはまったく違った空間が見えてくる。缶蹴りをすると、駐車場が格好の隠れ場であることがわかる。とくに最近のRV車は、サイドガラスが黒くなっており、こちらからは見えるが、遠くからは見えない。いろんな車の特性を利用しながら、その場を遊びの場として再定義することができる。このように考えてみると、「駐車場ではあそんではいけません」という看板を立てるより、駐車場は子どもが遊ぶ場だということを前提にして、「駐車場は子どもが遊ぶ場です。運転手はいったん入り口で降りて、子どもに<すみませんが、入れてください>>と言ってから徐行して入りましょう」という看板を立てることが、より公共的であり、子どものため、社会のためであることがわかる。
 このようなことを感じ、考えさせてくれるたまりばは、都市にありながらも、北海道の森のような空間を編み出しているようである。



  2000/3/17(Fri) <ネット日記(1)>

 インターネット上で日記が乱立しているのは、日本特有の現象らしい。私たちの社会における日記という文化は、平安時代の日記文学までさかのぼるのだろうが、それがインターネットというメディアを得て、一挙に拡がっている。
 インターネットとやらでホームページなるものが作れるらしい、よし自分も作ってみよう、ということでいざ表現してみようとすると、そこには何も表現するものはない。それなら、日記だ、日記ならば自分でも書けるということで、ネット日記が雨後の筍(たけのこ)のように生まれたのだろう。ネット日記は、人と人のつながりを生み、あるいは癒しになりながらも、新たな問題もそこから出現している。
 先日、東京都教育委員会と社会福祉協議会主催の、介護等体験の実習についての説明会がひらかれた。そこで得られた情報として、実習に参加した学生が、その体験談を施設の利用者の実名入りでネット日記に書き、プライバシーの侵害で苦情が出ているという話があった。学生にとっては、養護学校や社会福祉施設での介護などの体験は、新鮮な経験であったに違いなく、ぜひともネット日記に書きたいと素朴に考えたことだろう。しかし、福祉や教育、医療等にかかわる専門家には、それだけでは済まない責任−守秘義務−がある。こうした中で、ネット日記でどのようなことを書くことが意味をもつのかは、これからよくよく考えていかなくてはならないことである。(続く)



  2000/3/10(Fri) <スコットランドのいじめ対策>

 先週の土曜日、スコットランド・エジンバラ大学のマン教授より(マンさんだけど、女性)、スコットランドでのいじめ問題への取り組みについての講演を聴く機会があった。10年ほど前までは、いじめは日本社会に特有の現象であるようにいわれていたが、現在では、世界の先進諸国で共通する社会病理であることが明らかになっている。マン教授の話は、スコットランドでは、学校でいじめがあることは決して恥ずかしいことではないということを教育行政がアピールし、いじめの実態を明らかにし、学校と地域と行政が手を結んでいじめ問題に取り組んでいるというものであった。もちろん、それはパーフェクトなものではないわけだが、日本での取り組みとの大きな違いは、いじめが学校の病理ではなく、社会の病理として認められ、それをシェアーした上で、問題への解決が模索されている点にある。日本の場合、いじめなどの学校の問題は、一生徒や一教師や一学校の問題としてとらえられる傾向にある。このことが問題を隠蔽させ、問題の深刻化を生んでいるように思われる。いじめの問題は、いじめられる子ども、いじめる子どもの問題に矮小化するのではなく、これらを創り出している関係性を問うことが大切なのであると教えられる貴重な機会であった。



  2000/3/3(Fri) <ざぼん>

 故郷の大牟田の祖母から信じられないほど大きな“ざぼん”が送ってきた。段ボール箱をあけてびっくり玉手箱!たった四つしか入っていない。しかし、その大きさは、妻の顔と同じぐらい。記念撮影をして、大奮闘で皮を剥いたが、皮の厚みも並みではない。2人で半分食べるのがようやくだった。この驚きをちょっとばかりおすそわけ。(表紙“ざ・ぼん”)



  2000/2/25(Fri) <武蔵国分寺散策>

 私が勤務する東京経済大学は、東京都のほぼ中心に位置する国分寺市にある。国分寺市はお隣の府中市とともに、日本列島に律令国家が誕生したとき、武蔵の国の政治、宗教の中心地として位置づけられた。聖武天皇によって、全国に国分寺、国分尼寺の建立がすすめられたことは、日本史でご存じの通りだが、武蔵国分寺は、全国の国分寺のなかでも最大規模の一つであると言われている。このような史跡が、歩いてほんのわずかのところにあるというのに、就職して3年経つというのに、一度も散策をしたことがなかった。奈良の古都巡りはしたというのに足もとに目を向けないとは何たること。
 さて、車の行き交う道路を国分寺駅から南へ歩いている途中は、こんなところに史跡があるとは夢にも思えないような不粋な風情であったが、案内の看板から脇に入ると、木立に包まれた静寂のなかにいざなわれた。木立のなかには泉があり、なんと日本名水百選に指定されているという。先日、富士山からの湧水で有名な静岡県の柿田川にも行ってきたので今年は水と縁のある年になりそうである。さて、国分寺の真姿池から出た水は、野川となって武蔵野を流れ、多摩川と合流する。国分寺にはハケと呼ばれる崖が走っているが、崖の上の土地に降った雨が土にしみこんで濾過され、崖の斜面から湧き出るために、国分寺はおいしい水に恵まれていたという。
 武蔵国分寺の史跡はさることながら、感動したのは、この町に住む子どもたちの様子である。学校帰りの子どもたちが、武蔵国分寺の門の前に何とはなしに集まり、ランドセルをおいて鬼ごっこをはじめていた。史跡ということで守られ、車の来ない安心できる空間がそこにはあったのだ。子どもたちは、場所さえきちんと確保されていれば、このように伝承遊びにいそしむこともある。大人にコントロールされやすい子どもにとっては、安心してエネルギーを解放できる空間と時間がどうしても必要であると思う。私は今もそうだが、子どもの頃、狭い路地をいくつ知っているかによって自分の幸せ度が変わるというところがあった。子どもには、自分のなかに育つ力があり、それをメチャクチャなことをされて損なわれないかぎり、まっとうな大人になるということを、私は信じている。



  2000/2/18(Fri) <萩山実務学校>

 しばらく前から懸案であった萩山実務学校を見学してきた。今週の水曜日のことである。萩山実務学校とは、東京都小平市にある「児童自立生活支援施設」(旧「教護院」)であり、主に小学校高学年から中学生で問題を起こしてしまったり、家庭環境が整わない子どもたちが生活している施設である。東京経済大学から至近距離にあり、生徒指導論を担当する者として、ぜひとも参観しておきたいとつねづね思っていたが、ようやく実現した。寒い寒い日であったが、生活指導係長の五味先生が貴重な時間を割いて下さり、二時間半にもわたって、施設と活動の概要について話をしていただいた。
 印象に残ったことは、問題を起こしてしまう子どもたちの家庭環境の悪さである。一方では、子どもに愛情を注いだり、教育、しつけをすることをほとんどしない、放任(ネグレクト)の家庭があり、もう一方では、子どもの育て方がわからず、虐待をする家庭がある。社会で問題になっていることの縮図がこの学校にあることを知った。また、子どもたちの表現力の乏しさ、精神的な幼さについても話された。戦後すぐの生活苦からやむなく犯罪に走る少年や昭和40年代の不良少年たちともかなり質が変わってきているという。私は、この施設で子どもたちが信頼できる大人と出会うことで自らの不幸を乗り越えて成長していく姿を知り、家庭だけで子どもの面倒をみるやり方に限界があることを改めて感じた。教職の学生の介護等体験は、老人ホームではなく、こうした施設で経験することに教師の専門性の育成という意義があるのではないかと考えた。



  2000/1/28(Fri) <花粉、飛来!!>

 なんとまあ、まだ1月だというのに、すぎ花粉がやってきた。朝起きるなり、目が充血、ひりひりして、鼻もむずむずする。悲惨な季節の始まりだ。そもそも、私は小学生の頃から、花粉症なんて言葉がなかった頃からの花粉症で、いつも春になると体調をこわしていた。筋金入りの花粉症ではあるが、昔は3月にならないと発病しなかったし、最近でも2月にならないと発病しなかった。ところが、今年はまだ1月というのに、花粉の襲来を受けているのである。何とも情けない。花粉にも、時節をわきまえてやってきてほしいものである。大学の教員はともかく、花粉症の受験生がかわいそうである。なお、今年の花粉症はひどいという予報が出ているので、要注意である。



  2000/1/27(Thu) <フリースペース・たまりばへ>

 今日は、朝から川崎市にある「フリースペース・たまりば」に出かけた。北海道の子どもの村でゼミの夏合宿を行ったときに出会った井出さんがここのスタッフで、お誘いを受けていたのがきっかけだった。「たまりば」は、たま・リバー(多摩川)からとったそうである。見事なネーミングで、なぜかこのHPのたまのさんぽみちとも相性がいい。さて、JR南武線の久地駅を降りると、そこは感じのいい昔ながらの商店街で、わずか3分ほどで「たまりば」に着いた。南米の民族楽器ケーナを吹いたり(たまりばには楽器がたくさんあるのです)、子どもたち、おとなたちと語らっているとあっという間に時間が過ぎたが、正直言って、場のあまりの自由さにはじめはとまどった。次第に、自分自身のなかに、何かしないと不安であることと、子どもたちをコントロールすることが教育であると思いこむ“常識”が根強く残っていることに気づき、何もしないことを自分自身に認めてみようという思いになった。何とも不思議な場だったが、北海道の子どもの村と子どもたちの雰囲気がとても似ていた。ゲームボーイにいそしむ子どもたち、劇の練習をリードする子ども、スケボーに夢中な子ども、いろいろいるが、コントロールされない場では、子どもたちは何とも誇らしそうで、その表情は時折キラキラとしているのだ。キラキラしつつ、脱力している子どもたち。コントロールしないという「たまりば」という場は、おとなにとって決して楽な場ではないと思わされた。マスターの西野さんのまなざしとスタッフの人々の実践があの場を支えていることが伝わってきた。もし不登校で悩んでおられる方々がこの日記を読まれたときのために、連絡先(Tel 044-833-7562)を書いておきます。教育が家庭単位の個人的な営みになっていき、閉塞していく中で、子どもたちにも、またおとなたちにも「たまりば」こそが必要なのだと思わされた。



  2000/1/26(Wed) <大学生の学力低下報道に異議あり>

 大学生の学力低下がマスコミなどを通してまことしやかに語られる。果たしてほんとうにそうであろうか。実証的なデータに基づいての話ではないが、私自身の経験的な感触からは、大学生の学力低下という言説はあやしいように思われる。確かに、漢字を書くことや、計算問題を解くことに関していえば、昔よりもできなくなっているだろう。しかし、それは社会のなかで求められる知力の質が変わってきているからであり、学力が低下したと簡単に言うことはできない。卒論の指導などに携わっていると、根気強く、読み応えのある論文を書く学生が必ずいることに気づく。過去の自分自身の学び方よりずっと真摯に取り組んでいる。こうした事実に出会うと、大学生が学力低下しているというようないい加減なことは、少なくとも私には言えないと思う。



  2000/1/22(Sat) <3年目が終わる>

 ひたすら初任教師として歩んだ、3年間の授業、ゼミナールが幕を閉じた。「計画性がない」「教師失格」だと言われながら、何とかたどり着いたこの3年間だったが、3年たって、いよいよこのままではにっちもさっちもいかない、と思うようになった。いつまでも初任期ではあり得ず、学生たちもいつまでも手加減はしてくれない。今までは、私の中から立ちのぼる初任教師の匂いが、力量不足を中和してくれたのだが、これからは私の中から醸し出されるであろう教師臭さが、学生たちの目を厳しくすることだろう。こうやって、教師は育っていく。我ながら、教師のライフヒストリーを専門にするということで、デフォルメされた(大げさにわざとらしく振る舞うということ)壮絶な初任期らしい初任期を過ごしてしまった感がある。今後は、自分自身のやっていることを対象化しながら、もう1つの自分を創ること、すなわち知的な営為を怠りなく積み重ねることによって、初任期から次のステップへ脱皮していかなくてはならない。生きていくのは厳しい。




  2000/1/13(Thu) <東海村であの日何が起こったのか>

 東海村のJCOの臨界事故から3ヶ月半がたった。健忘症の私たちは、喉元過ぎれば熱さを忘れるものだが、忘却こそもっとも恐ろしい。人並み外れて忘れっぽい私は、東海村の事故を忘れないために、1つのことを続けている。それは茨城県産の野菜を買わないことである。私は白菜が大好物なのだが、残念なことに近くのスーパーで扱っている白菜はほとんどが茨城県産なので、この冬白菜は滅多なことがなければ食べられない。もちろん、私が1人でこうしていても、外食産業やコンビニなどに茨城県産の農産物、畜産物は流れているだろうし、どこかで口にしているだろう。だから、自分だけが放射線から無害でいることはできない。しかし、原発に反対するのなら、何か自分のほうでも我慢してみようということで、茨城県産の白菜を買わないでいる。
 先日、藤田祐幸さんの「東海村であの日何が起こったのか」という講演録を手に入れ、電車の中で夢中になって読んだ。臨界事故の経緯、原子力問題の構造をわかりやすく、かつ詳細に語っておられ、貴重な資料であるとともに、学校においても生きた教材にもなると思われた。この冊子も好評だったのだろう、第2刷まで出ている。五百円の小冊子だが、読み応えがあり、内容は充実している。10冊以上で送料サービスとのこと。お問い合わせは、〒920-0942 金沢市小立野2-26-8 電話076-260-6816 中垣さんまで



  2000/1/11(Tue) <佐藤先生>

 久しぶりに大学院時代の恩師の佐藤学先生の話を直に聴く機会があった。岩波書店から出ている『教育改革をデザインする』が記録的な勢いで売れているらしい。もう4刷ということで、理論的な教育書としては画期的なことである。やはり、教育現場でものを考えている方だけあって、説得力が違う。また、現場をベースにしつつ、常識的な捉え方を覆す事実を突きつけ、整然とした理論を提示しているので迫力がある。自らの恩師でありながら、感嘆の思いであった。佐藤先生は相変わらず超多忙である。佐藤先生に代わって現場に根ざしつつ、新しい教育のヴィジョンと希望を語れる者はなかなかいないのだから仕方がないのか。院生時代は、佐藤先生のワールドに間近に接し、空気のようにして生きていたが、自立した研究者となってみると、あの空気の力に気づかざるを得ない。そして、学生を前にして立ったとき、人の空気では勝負できず、自分の空気でしか向き合えないのだ。私は100年かけても佐藤先生のように語ることはできないだろう。しかし、私には私の語り方、そして空気があるはずなのだ。その鉱脈をめざして掘り進むしかないのだ。言葉の力に出会い、学ぶことへのモチベーションを再確認させられた一日となった。



  2000/1/7(Fri) <ミレニアム新年>

 新年、あけましておめでとうございます。いよいよ2000年となりました。ノストラダムスの大予言シリーズでしこたま稼いだ五島勉氏は、どんな気持ちでこの新年を迎えていることでしょうか。それにしても、2000年という数字はすっきりしているといいますか、見ていて安心感があるものです。やはり1999年という数字の陰鬱さにくらべると、段違いです。そういうことからでしょうか、年始の新聞の論調も心なしか明るいような感じがいたしました。ただ、その中でもがっくりきたのは、わが国の首相のあいさつ。自分の国のことしか考えていなくて、何とも情けない感じです。イギリスのトニー・ブレアさんなんてかっこよかったのに。まあ、ブレア首相は社会学者アンソニー・ギデンズの大きな影響を受けているということですので、わが国には首相に影響を与えるほどの学者がいないことが問題かも。というわけで、わたしも学者のはしくれとして、この1年、何とか生き抜いていきたいものです。新しい年もどうかたまのさんぽみちを温かく見守っていただけますと幸いです。


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