Daily たまのさんぽみち
教育についてのひとりごと
1997/12/1-1998/1/31
1998/1/29(Thu) 昨日、府中の森芸術劇場に鬼太鼓(おんでこ)座の公演を聴きにいっ
た。鍛え上げられた身体と技能に裏打ちされたみごとな舞台だった。みごとなパフォーマ
ンスは、観客のあこがれを誘発し、日常の次元を超えた世界をひらいてくれることがよく
わかった。2時間あまりの太鼓のうなりのなかで、あたらしい年の授業のイメージが次々
と花開いていった。ところが、帰宅の途上、よそ見して歩いていたら、鉄製のポールに激
突し、下腹部に激痛が走った。あまりの痛さに、鬼太鼓座に刺激されて生まれたさまざま
なイメージがふっとんでしまい、好事魔多しと思わされた一日だった。
鬼太鼓座
1998/1/24(Sat) 最近話題になっている高村薫の『レディ・ジョーカー』を読み始め
た。この本では、総会屋や警察、地方からの上京者などをさまざまな人間模様を通して、
今まさに崩れようとしている日本の企業社会、学歴社会を支えてきた人々の怨念が描かれ
ている。今までのシステムがにっちもさっちもいかなくなったことはよくわかる。だけど、
新しい時代のシステムをどのように創っていけばいいのかということになると、相当真剣
に考えていかなくてはならない課題だ。
わたしも、自分自身の一年間のゼミの経験から、大学の授業もまた大きな変革を求めら
れていると思わされた。大学生の生きる世界をきちんと見据え、その地平の上に学びを構
想していかなければ、どうにもならない時代が到来しているのだ。
庄井良信は『学びのファンタジア』のなかで、ヴィゴツキーの「発達の最近接領域」の
理論が、生活から科学への進歩をうながすもののではなく、生活が科学に向けて遠心力を
もって超越し、再びその科学が求心力をもって生活を確かなものとするような螺旋的な学
びを援助するものだという見解を述べている。生活から科学が飛翔し、再び生活に還って
くる、こういうダイナミックなサイクルのなかに学びを構想しなければ、学ぶという営み
そのものが枯渇してしまうのだ。
1998/1/20(Tue) 昨日、一週間ぶりに北海道から帰ってきた。北海道の滝西の森では
星空の下の五右衛門風呂が最高だった。昨年の北海道の森での経験については「たまのさ
んぽみち」創刊号に書いているので、ぜひ読んでいただきたいのだが、今年も、小学生の
つよしくんと語り合いながら、五右衛門風呂に入ったのだ。自分のからだのなかみからあ
たたまっていくことの確かさ。学ぶということも同じではないかと思う。知識を外側から
つめこんでいくのではなく、すでに知っていることを編み直していくこと、内側からの学
びこそが、生きていくための確かな軸になるのではないだろうか。今年の一年間の授業の
苦闘は、今日で一つの区切りを迎える。これから「生徒指導論」の二つの講義があるが、
今日は、一年間生き抜いてきたという喜びでいっぱいだ。最後の講義で、わたしがこの授
を通して、学生たちから教えられたことをしっかりと語って締めくくりたいと思う。
そして、新たなる出発だ。
1998/1/8(Thu) 来週が成人の日でお休みのため、今日で木曜日のゼミが終了した。は
じめてのゼミが、何はともあれ1年間完了したのだ。方向性のわからないゼミ運営で、学
生たちに多大な迷惑をかけたように思うが、ただ1年間完了したことにほっとしている。
ひたすら思ったようにいかず、悩み続けた初年度のゼミで、反省することしか残らない
が、こういう場でもきちんと学びを深めた学生たちが幾人かいたことにひたすら感謝する
だけである。
これから夜のゼミがある。外は雪が降っている。一人ひとりの人生の作品をわかち合い
ながら、学生たちの今後の祝福を祈りたい。
1部の歴史ゼミの学生たち
1997/12/24(Wed) 今、九州の大牟田にいる。今日、『見知らぬわが町』の著者である
中川雅子さんとお会いした。お互いの炭坑への思いと自分探しの旅など、話は尽きず、わ
たしにとって、貴重な出会いとなった。「透明な存在」である自分を世に表出させたいと
いう抜き差しならない思いにおいて、酒鬼薔薇少年との類似性を語る中川さんと直にお話
しして、われわれの学びがこの地点から出発しなくてはならないことを思い知らされた。
何だか面白そうなことになりそうだ。わくわくしてくる。
中川雅子さんとわたし
1997/12/21(Sun) カウンセリングのワークショップに参加。多磨全生園の白井幸子先
生から交流分析について学ぶ。セラピスト、クライアント、オブザーバーを交互に経験し
ながらのレッスンは、よろず相談流の学生相談のありかたを問いなおさせるものだった。
自分を外側から見つめる自分をもつこと、これが課題だ。
1997/12/17(Wed) 昨日の北村さんの授業はとてもよかった。学生同士が出会うワーク
は、わたしもやりたかったことだ。北村さんの手助けで、学生たちの身体がひらかれてい
く様子は、まるでさなぎが蝶に変身するようだった。深い深いところで、学生たちの自己
認識が揺さぶられたことだろう。同時に、わたしにとっても、身体と出会いのワークは、
おそれのなかにいた自分自身を気づかせてくれるものだった。「酒鬼薔薇聖斗」からはじ
まって、それぞれが自分と他者の身体にふれて終わった今年の講義は、わたしにとって、
とても意義深いものだった。
北村年子さんのワーク−スタジオにて
1997/12/16(Tue) 今週で年内の授業は終了する。短くも長い9ヶ月だった。今日の授
業もゲスト講師の北村さんにお願いする。教室のなかに、大人が複数いるととても楽だ。
一人だと、教師らしくふるまわなくてはならず、必要以上に「学生をコントロールしなけ
ればならない」という思いが前面に出てしまう。これに対して、複数の大人で相対すると
正面から向き合う大人と、側面からそっと支える大人が生まれて、学生とのモノトーンの
かかわりから抜け出すことができる。小、中、高においても、大学生をふくめた大人が入
っていくことが、お互いのためにいいのではないか。苅宿俊文先生などは、卒業生をアシ
スタントとして教室に入れて、面白い実践をすでにやっているようだ。(小学校)
北村年子さん−研究室にて
1997/12/12(Fri) 大学の教育相談委員会で講師の先生を呼んで、研修会がひらかれた。
最近の学生の特徴は「ヒルネダイスキ」だそうな。「ヒ」は人並み、「ル」はルンルン、
「ネ」はネアカ(ネクラと思われないようにネアカにふるまうこと)、「ダ」は団体行動
「イ」は一応、「ス」はスポーツ、「キ」は気遣い、ということだった。
講演を聞きながら、これは全部、大人の生き方そのものじゃないかと、思った。どうも
この手の若者論は、面白くない。そりゃ、そうだろうけど、だから、どうなの、と言いた
くなる。若者問題、子ども問題なんて、ほとんどおとな問題なのだから、おとながきちん
とやり合って、ぶつかり合っていくならば、問題にさえならないのではないだろうか。お
とながひよっている分、子どもが代理戦争を強いられているのではないか。
「いまの若者は…」なんてよくいわれるが、彼らは結構面白いですよ。いまから5年ぐ
らいかけて、大学の若者文化の復権をもくろんでみたいと、思っている。
1997/12/10(Wed) 昨日の生徒指導論の授業で、ゲスト講師としてルポライターの北村
年子さんに来ていただいた。ワークとして、リラクゼーションのやってもらったが、わた
しも一人の受講生として参加して、とてもリラックスできた。自己肯定感をかくとくする
ワークでは、多くの学生が感情をおさえることができなくなり、普段はクールにふるまっ
ている学生たちの奥にある悲しみやつらさを感じさせられた。授業での最大の発見は、学
生が、自己否定の反対を、自己満足だったり、自意識過剰だと考えていると知ったことで
ある。私は愕然とし、ああ、だから、自己否定から逃れることができないのかとわかった。
人間関係では、しばしば投影が起こる。自分のあり方を相手にかぶせて、相手を理解する
のである。教師が自己肯定できないとき、教師は生徒をどのように観るだろうか。まず教
師に「あなたはこれでいいんだよ」という自己肯定のはげましがなくては、生徒の声に耳
を澄ます生徒指導なんてそもそも成立しないだろう。
1997/12/6(Sat) 立教大学で行われたシンポジウム「教育実習と介護体験をめぐる諸問
題」に出席する。教育職員養成審議会の答申に基づき、中学校の教育実習が現行の2週間
から4週間に延長されること、これに加えて、小中学校教員免許状習得の条件としての介
護体験の義務づけという重大なテーマのため、大学などから多くの出席者があった。公立
中学校の教師と養護学校の校長、教育行政官、大学教師の順に提言が行われたが、なかで
も養護学校の校長先生の話を興味深く聞いた。この制度を用いて、障害者と健常者の交流
の機会を増やし、ノーマライゼーション(障害者の市民生活参加を進めること)の手がか
りとしたいという校長先生の話からは、教育実践を地域や社会に開かれたものにしたいと
いう教育現場の願いがうかがえた。この貴重な思いと機会を、大学で教員養成に携わる者
として汲み取っていく必要があると思った。今回の制度改革は、あまりにも性急であり、
大学の教員養成や介護施設の現場にさまざまな無理が生じることは当然考えられる。しか
し、養護学校の校長先生の話をうかがい、この制度を逆手に用いて、学生の教育経験の質
を高める機会にすることも十分可能であると、考えた。
1997/12/5(Fri) 今朝の毎日新聞に雑誌『ひと』(太郎次郎社)が休刊になるという記
事が載っていた。部数が伸び悩んでいたらしい。閉塞する学校のなかで、その壁を突き破
ろうと試みる教育実践の記録の数々を楽しみにしていただけに、大変残念だ。日常の地道
な活動からしか、教育は成り立たない。地道に実践を進め、どこからでも発信していくこ
と。このような土壌を培わないと質の高い教育雑誌も育たないのかもしれない。
雑誌『ひと』1997年12月号
1997/12/4(Thu) 歴史のゼミで、731部隊の少年兵だった篠原良雄さんに来ていただ
き、学生たちと私に話をしてもらった。意外なことに、731部隊(「関東軍防疫給水部
本部」)での少年兵としての篠原さんの生活はあたかも医学生の生活のようなものであっ
た。解剖や生理学などの学科と軍事教練、その日常生活は中国人の生体実験という修羅場
からは遠いように思えた。しかし、教育ののち、徐々にノミを使った細菌の繁殖、人体実
験後の内臓の処理など、だんだんと731部隊の本務に組み込まれていく。功を上げたい
という少年の思いがじわじわと非人道的な犯罪に取り込まれていく様子が恐ろしかった。
また、「科学に国境なし、科学者に祖国あり」というきわめて近代的なイデオロギーが、
731部隊の底にあったことを知り、狂気として片づけ去ることはできない問題であると
感じた。
1997/12/1(Mon) 先週末から、パソコンがネットワークにうまくつながらなくなった。
ネットワークカードのドライバを再インストールしてみたり、万策を尽くしたが、正常化
の見込みはなく、最後の手段としてコンピュータの達人である竹内秀一先生に来てもらっ
た。これでダメなら、新しいネットワークカードを購入するしかないと覚悟していたとこ
ろ、「ベースステーションと本体がずれているんじゃないですか」という一言。別にずれ
ているようには見えなかったが、一度外してもう一度結合し直してみたら、なんと一発で
回復してしまった。「機械屋はまず叩いてみます」とおっしゃって、竹内先生は去って行
かれた。さすがに達人は違う。精密機械でも、まず叩いてみる(触れてみる)ことが大切
とは…
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