合宿1998summer
<三池の夏1998「見知らぬ先生の町−真夏の廃坑」 その1>
小島宏裕−生まれてくるのが40年遅すぎた男。40年前なら立派な炭鉱マンになったに違いない。さらに、三池争議の闘士として名を残したことだろう。昔炭鉱マンの人が使ったヘルメットをずっとかぶりながら、真夏の廃坑を歩いた。
大橋康人−もう一人の炭鉱マンもどき。小島と同じく鈍行で24時間かけて大牟田入り。その日に早速、大牟田川べりに一軒だけ残っている屋台のおばちゃんと仲良くなる。ビールと焼き鳥を飲み食いして、1人500円に負けてもらったそうな。荒れ果てた炭鉱住宅では、小島と組んで、炭鉱マンの生活をスキットとして再現していた。
宮原坑前でのみんなの写真。左に見えるオレンジ色のシャツが上原進太郎。群馬県から自動車でやってきた。みんなたくましい。
滅びゆく寸前の炭坑住宅。月見が丘住宅だと思われる。まだ住んでいる人もわずかだがいる。ここに写っている女性は、『見知らぬわが町』の著者中川雅子さん。彼女も一緒に炭鉱巡りにつきあってくれた。それだけではなく、最後の打ち上げにも参加、小島、大橋の炭鉱マンもどきに連れられて、屋台も「見学」(彼女は未成年じゃけんね)。
宮原坑の櫓。宮原坑は大牟田に残存する廃坑のなかでもとくに美しい。そして、坑道を垣間見ることができるわたしの知る唯一の坑である。この日は、偶然、柵の中に入ることができ、貴重な写真の数々を撮ることができた。見た目は美しいが、囚人労働が激しく行われた坑でもある。
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