1997winter3
<三池の冬1997 その3>




<三池港北岸からの陽光>

 おだやかな冬の日差しのなか、三池港がきらきらと輝いていた。石炭の積出港だった三池港は、三池争議のとき、「三池艦隊」による「海戦」の舞台ともなった。三井の専用港として、市民にひらかれた港ではなかったが、炭坑閉山で港の位置づけも変わる。







<三池港から島原半島を望む>

 有明海をはさんで、向こうに島原半島がみえる。おだやかな内海にはさまれた島原半島と筑後地方は、昔から交流がしばしばなされていたのであろう。島原で話されることばは、筑後で話されることばときわめて近いように感じる。毎日新聞に、島原弁では「がんばれ」が「がまだせ」だという話が載っていたが、この「がまだす」ということばは筑後でも頻繁に使う。働き者のことを「がまだしもん」というのだ。そして、その反対の怠け者のことは、大牟田では「すったくもん」というのだが、久留米の人は「がまだしもん」は知っているが、「すったくもん」は知らないとのことだった。「がまだしもん」と「すったくもん」が通用する地域を知りたい。




<三池港から三池山を望む>

 こちらは逆に、三池港から九州の内陸を眺望した写真。三池山が見える。三池山のふもと近くに、わたしの実家はある。




<三池港から雲仙を望む>

 三池港から有明海の南西に、雲仙がみえる。写真ではほとんどみえないが、工場の上にぼんやりとあるのが雲仙である。雲仙の大噴火のときには、実家の机に灰がつもったものだった。大噴火の被害にあった人たちはどうしていることだろう。あのあと、阪神大震災があって、雲仙のことは忘れ去られていたが、そこで生活を立て直そうとしている人たちはたしかにいるのだ。




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