書き方表現法

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シドニー・オリンピック

オリンピック ~オリンピックと金銭問題~
                98c1037 三嶋 昭彦

近年のオリンピック、特に最近の大会では「商業主義」というもののあり方が多く取り上げられる。マスコミや世論の多くが今のオリンピックの金銭運用に対して否定的な意見を主張するが、果たしてそれが全て正しいといえるのだろうか。
オリンピックの運営は、開催国だけでなく世界中が関わるまさに地球規模の催しであり、そこには当然費用がかかってくる。大会ごとに増加する、競技数、種目数、参加国数、選手・スタッフ数、そしてそれに見合うだけの施設。もし、スポンサーの存在が無かったらそれら全ての要素を消化するだけの莫大な費用をいったい誰が出せるのだろうか。スポンサーのほとんどは企業であるし、開催国だって行政という形をとる「企業」であるといえる。ボランティアではない。少しでも利益を確保できるようにしなければならないのは当然なのである。
また、スポンサーの存在の恩恵を受けているのは運営する側だけではないだろう。大会の規模が大きくなったおかげで増加した種目の選手など、世界の注目を浴びるチャンスを与えられた人も多くいるのである。もし「原点回帰」という名のもと、初期のオリンピックのような規模に戻したら、日の目を見ることができなくなる競技、選手が増え、スポーツの発展というオリンピックのコンセプトそのものに影響を与えかねないのではないだろうか。世界のアスリートに華やかな舞台での活躍のチャンスを与えるという点では、競技種目数が増えることは悪いこととは言い切れないのである。
「原点回帰」というものについてもう一つ。一度大規模で華やかなものを経験した人が、突然地味で種目の少なくなったオリンピックを見て満足できるのだろうか。世論に従って大会の規模を縮小したら、きっと「物足りない」、「つまらない」と、消化不良の声があがることだろう。「次は前よりいいもののはず」という人間の欲求に従って大会を企画、運営していけばその規模が肥大化するのは当然の結果といえるのではないだろうか。
そういう人間の意識がある限り、アスリートの夢の舞台であるオリンピックが商業主義とスポーツマンシップの狭間で揺れ続ける、「大きなアトラクション」となる事は避けられない気がする。


98c1091 吉井明
  日本は五輪で野球が正式競技となった1992年に銅メダル、96年には銀メダルであった。そして今年のシドニーではプロアマの合同チームで出場し、金メダルを目標にしたが結果はまさかの4位であった。また優勝候補の本命であったキューバも予選リーグでオランダに敗れたりもした。
 どうして日本はメダルを取ることができなかったのだろうか。これはプロ選手の参加が背景にある。日本のチームはプロ8人とアマチュア16人でシドニーに参加したが、上位3チームには一度も勝つことができなかった。プロ選手が中心であったアメリカ、韓国。そして、大リーガー並みの選手をそろえるキューバ相手に日本のプロとアマの急造チームでは、勝てるわけがない。韓国などでは全員がプロ選手であり、オリンピックの間は国内リーグを一時休止していた。
 どうして日本は韓国と同様にしなかったのか?それを考えると、日本野球の組織に問題がある。欧米文化が日本に入ってきた時に、日本人の間でもっとも人気があったスポーツは野球であった。野球は、他のスポーツとは比べ物にならないほど人気があり、日本の国民的スポーツにまでになった。そして人気が出過ぎたため、いろいろなことが原因でスポーツ理念というものが失われたために、高校野球、大学野球社会人野球、プロ野球などとこれらの組織は分裂したままである。そして統一された組織が作られないままにシドニー五輪を向かえてしまった。その前の選手選考でもプロ選手の参加問題で様々な議論が沸き起こった。
近年の日本サッカーは急激にレベルがあがりシドニーではあともう少しでメダルが取れるまでになった。これは明らかに、組織化されたJリーグのおかげである。
 しかし野球は組織が分裂したまま「新の日本代表」とは言えないチームで出場した。4年後までには日本野球界を組織化して、セ・パリーグが足並みをそろえて出場して欲しい


98c1096 山下 英子
「20世紀オリンピック」今も胸に残るのは、キャシーフリーマンの笑顔。400 mの決勝戦をみごと勝ち抜いて金メダルを獲得した。アボリジニ出身である彼女はつねに人種差別とも戦ってきた。世界中が注目するオリンピック。しかも、自国オーストラリア大会において彼女のメダルは自分のためであると同時に、つらい差別を一緒にうけてきた他のアボリジニたちにも勇気を与え、自分たちの存在を示すことができたのではないか。と思うのは彼らだけかもしれない。
 実際はまだ人種差別はなくならないだろう。しかし、意識は変えられる。4年後のアテネにはなくなっているのを期待したい。辛い思いをした人間は痛みがわかるだけに立派だ。彼女はウイニングランにアボリジニとオーストラリア両方の旗をもっていた。 


「オリンピック」98C1136   真下杏子
 喜び、怒り、悲しみ。スポーツにはいろいろな顔がある。その顔が一番見られるところがオリンピックであると思う。選手にとっても一般の私達視聴者にとってもオリンピックは特別な場所である。オリンピックは世界中の人の注目を集める。だからこそ毎回感動を生むのである。
 私はスポーツにそれほど興味を持っていない。普段テレビで中継されている野球、サッカーなどもめったに見ない。ところが世界の関心事、オリンピックともなると―連日放映されているせいでもあるが―なぜか見てしまうのである。さらに生中継で選手の試合後のインタビューを見ると感動して涙が出そうにさえなる。私だけではなくおそらく世界中の人が自国の金メダルに、選手の活躍に一喜一憂していることだろう。
 スポーツはたくさんの可能性を秘めたものである。オリンピックという最高の舞台でトップに立つために、選手たちは薬物や報酬に溺れることなく、自らの可能性を信じてトレーニングを行っている。本番では思い通り成果を出せる選手もいれば、実力以上の力を出せる選手もいる、不本意な結果に終わってしまう選手もいる。どんな結果に終わろうと選手たちは精一杯の力を出して正々堂々と戦う。オリンピックにはそんな選手たちの思いが結集しているように思える。
 近年、オリンピックは過剰報道や国のアピールの場所に使われてしまうなど問題もたくさんある。しかし、報道されるからこそ私達は選手に触れ感動することができる。これからも平和や希望という理想に向けて進みつづけるオリンピックを、それを代表して私達に伝てくれる選手たちを見続けていきたい。


 シドニー・オリンピック 根岸正光
僕は、この2000年シドニーオリンピックで、特に注目していたのは、男子サッカーです。なぜなら、僕はこの日本代表のメンバーの中心選手たちをユース世代から見ていて、ユースでもベスト8と輝かしい成績で終えました。そしてオリンピック予選では全勝突破と楽勝で本大会へと進みました。だからこのオリンピックでその実力を十分に発揮してメダルを獲得するとともに一人一人が、ほかのクラブにアピールしてオリンピックの後に移籍してもらいたかった。
 オリンピックが終わって思うことは、悔しさだけが残っていることです。あれだけ期待されながらベスト8で、日本の中ではよくやったと誉めるマスコミもいましたが、僕は満足はできませんでした。なぜなら、準々決勝でアメリカと対戦し、PK戦の末に敗れましたが、あの試合は日本の大部分が勝つであろうと予想していて、試合内容も日本のほうが決定的なチャンスを多く作っていたのにまけてしまったので、悔しさがますます増してしまいました。確かにアメリカは、予選リーグから、優勝したカメルーンと引き分けたりしていて健闘していたり、メジャーリーグサッカーもできて実力はあがっていると思いますが、それでも日本が負ける要素は少なかったと思う。ただアメリカは最後まであきらめずに点を取りに行こうとした結果同点にして最終的には勝ったのですが、ただただ悔しさが残るばかりです。
 ヨーロッパは、オリンピックよりもクラブ優先の考えで、中心選手をオリンピックに派遣しないことが大部分であったため、今回のオリンピックはヨーロッパの国が優勝できんかたが、準優勝に、スペインが入り面子を保ちました。このような事から見ると、日本はベストメンバーで望んだにもかかわらず、ベスト8止まりで終わってしまいました。このことから、まだ、外国との差(ヨーロッパやアフリカなど)とはまだかなりの実力の差があると感じました。このことを強く受け止めて、2002年までに実力を挙げて欲しいものです。日本のサポーターの1人として。


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