今年のゼミ生は16名、卒論提出者は14名だった。提出できなかった人は、来年は別のゼミでやり直しということになるが、がんばって欲しいと思う。
就職状況が今年も厳しくて、いつまでも内定がとれない人が多かった。ぼくも大学をやめて週1回の非常勤に変わった。けれども、ゼミの集まりは例年になくよくて、共同研究室でやったゼミは、一度も開店休業状態にならなかった。
学生の中に危機意識が生まれたとも思えないが、ゼミのまとまりは例年になくよくて、恒例の三田合宿も楽しかったし、夏休みには河口湖に10人が集まった。歩くことをいやがらない学生が多かったことも例外的で、2回の合宿とも、クライマックスは長めの散歩になった。その時の様子は、巻頭に書いたとおりである。
もちろん、不便なこともあった。卒論の相談を受けてアドバイスをしても、すぐにその場で本を貸してあげることができない。新幹線でもって来なければならないから、どこかで探してという他はなかった。11月中旬の提出日前後が大学祭や祭日で休講になる。だから早めにと催促したのだが、学生たちは割とのんきで、こちらは例年と一緒だった。
使える時間やエネルギーが限られているので、今年はあまり絞らないことに決めていた。とは言え、論文の出来は心配だった。で、結果はというと、ゼミのまとまりの良さほどではなかったが、まあまあだと思う。テキスト・ファイルでの提出も、多少のトラブルやドジがあったとは言え、卒論提出と同時に全員が持ってきて、これも例年にはない優秀さだった。
で論文はと言うと、今年は傑出した論文はなかったと思う。しかし、力作は少なくない。
一番早く持ってきた大川君は、いいものを書こうという意気込みに溢れていた。彼は、日本人の「みんな一緒」という意識に批判的で、互いの個性を理解しあえる社会を構想した。授業にリクルート・ルックで来たことがあったが、なぜかシャツは黄色だった。「一点だけ自己主張を」と言ったように覚えているが、やっぱりその時の試験は落ちてしまった。大川君が論文で書きたかったのは、近代化とマスメディアの発達が、人びとの価値観を統一するという点である。確かにそういう側面はあって「大衆文化論」という名でもう半世紀前から議論されてきている。しかし、個人という意識もまた近代化の過程ではっきりしたもので、その関係をどうとらえるかで悩んでしまった。また、近代化以前から続いている日本人の同質性との関係はなど、難題はいくつもあって、手に負えないほどになってしまった。
ぼくは団塊の世代で、個人という意識については特に強く自覚している一人だと思っている。だから、経済成長とは関係なしに、いつまでも変わらない集団主義にはいつも懐疑的で、批判もしてきた。ところが、最近の学生たちを見ていると、その「みんな意識」の強さにあきれることが多くなってきた。近代の個人主義という視点から見ればこれは明らかに「退行現象」で、原因を探ってみたいという気持ちは、ぼくの中にもあった。大川君はそこに果敢に挑んだのだが、答えはまだまだ闇の中という感じである。
「近代化」について同じように格闘したのが田中君だろう。経済大国になってから生まれた世代は豊かさを空気のように自明視している。しかし、それで満足かというと、そんなことはない。じゃーどうしたいのかというと、それもはっきり自覚できない。もっと豊かになればいいのかもしれない。しかし資源や環境が有限であり、それに気づかず成長し続けてきた負債を、わたし達はすでにずいぶん抱え込んでしまっている。ならば近代化を否定して逆戻りするかといっても、すでに享受した便利さや楽しさや豊かさは手放したくないし、そう思っても出来はしない。田中君もこの袋小路に迷い込んでしまった。
彼は演劇部で主役を演じてきた。ぼくのゼミにこれまで在籍した男子学生の中でも1、2の二枚目である。芝居を見たことはないが、たぶん、舞台では引き立つだろうと思う。で、最初は演劇論で書く予定だった。ところがテーマは発表の度にずれ、ぼくは出発点に戻そうと修正を試みたのだが、何の効果もなく、最後には「近代化論」になった。大川君と同様、霧が晴れない状態のままで終了というのは心残りだろうが、大きなテーマに挑んでがんばったところは満足してもいいと思う。
磯川さんの「メディアとジェンダー」も力が入っている。横山ノック知事がちょうど話題になっていることもあって、タイムリーなテーマになった。ぼくは常識的な男と女、家庭内での夫婦や父母の関係にずっと違和感をもっていて、実生活の中でも考えてきた。だから、フェミニズムには基本的には同調するのだが、その「正しさ」という基準がオールマイティのジョーカー見たいに使われる傾向にはいささかうんざりしている。ジェンダーの問題は具体的な場で、人びとの直接的な関係を通して考えなければ意味はないというのがぼくの持論で、いくつかの本を読んでまとめてきた磯川さんの論文にも、そんな視点から、例えば、セクハラ問題、夫婦関係、あるいは性の商品化についてなど、考えなおおすための課題を出した。そのために、論旨が一貫しない箇所が生まれてきた。でまた再考。まだまだ考える余地はたくさん残されているが、考え悩んだ後がよくわかる論文になった。彼女はわがゼミのソフトボールのエースだが、今年は一度もできなくて残念だった。卒業前にぜひ一度やりたいものである。
荒木さんは超まじめ人間である。よく勉強をするし、人のいうこともよく聞く。ただし、その分融通性がない。だから彼女の書くものには間違いはないのだが、また面白みもない。テーマも「戦時期の報道と大衆操作」といったきわめて地味なものである。だから、アドバイスのポイントはただ一つ。もうちょっとおもしろく読めるようにするにはどうしたらいいか。そのための方策は、たとえばいかにして脱線して興味深い話を盛り込むか。読む人を引き込むかといったことだろう。しかしそれは教えることが難しく、また簡単に修得できるものでもない。何と言っても彼女は、暴走気味の大川君や探検好きの田中君とは対照的な気質で、横道にそれることなど日常生活でも決してしそうにないひとなのである。
で、南京大虐殺問題でずいぶんいい加減なことを言って、しかもベストセラーになっている小林よしのりを読んで批判したらどうか、というアドバイスをした。そうしたら、「あんな本読んだら影響されて主張が変わってしまうから、こわくて読めません」と言われてしまった。腹を抱えて大笑いなのだが、彼女にはまた、ひどく重い課題になったようだ。
山口さんの「心の距離」は最初は携帯電話論だった。しかし、電話論は去年もあって、彼女が書こうとしていることも、大体同じようなことだったから、どこかに新しい視点を見つけださなければならない。彼女は静かで目立たないし、報告も素っ気ないほど簡単な場合が多かったから、どんなものを書いてくるのかよくわからなかった。電話を使うとおしゃべりになるのか聞いた気がするが、携帯電話はそれほど好きではないという返事だった。電話論についてはここのところたくさんの本が出た。おもしろいものは少ないが、一応読んでおくように、といった程度のアドバイスしかできなかった。
山口さんの論文は携帯電話が必要アイテムになった大学生には批判的である。その分、直接会って話すことで確認できる親しさの距離や、書くことではっきりしてくる考え方や感じ方のプロセスを実感できないでいる。だから、携帯電話やEメールで簡単に作りだされる親しげな関係のフィクション性に考えが及ばない。そこからもっと、若い人たちの自我感覚や人間関係での距離感へと進んで欲しかった。けれども、彼女が親しさを手応えのあるものとして欲しがっていることがわかったのは収穫だった。
澤田君はJリーグについて書いた。テーマは最初から決まっていたのだが、書き始めるとサッカーの歴史にテーマを変えたいと言い出した。これはよくあるパターンである。書くことに事欠くと歴史に逃げる。歴史なら、本を一冊読めば、話題はいくらでも出てきて、たいして考えなくとも何枚でも書ける。そんなおもしろくもない論文を書く学生が必ずいる。ぼくはやばいと思って、Jリーグにしぼっておけと釘を差した。
Jリーグはスポーツの商品化の好例である。だから、スポーツというよりは、広告論やマーケティング論という視点で見たほうがおもしろい。新発売の商品が売り出しに成功したけれども、すぐに魅力は消えて、存続すら怪しくなった。Jリーグは日本に根づいてさらに発展するのだろうか。澤田君の論文はそのあたり、ちょっと説得力に欠けるが、スポーツものにありがちな歴史の羅列といった内容にならなくてよかった。
阪本さんはのんびりした性格である。しかし、提出日には見たことがない緊張した顔を見せた。使っていた「書院」が壊れて印刷ができなくなったのである。で、友達にワープロを持ってきてもらって印刷するというのだが、それは「Rupo」だった。ワープロは同一機種でないとデータは読みとれない。そんなことも知らなかった。情報センターでコンバター・ソフトを使ってテキスト・ファイルにできたからよかったものの、そうでなかったら、今頃どんな気持ちでいたのだろうか。
で、卒論だが、なかなかユニークでおもしろかった。ガウディからはじめて、人間にとって居心地のいい家を考えるというものである。3年生の時には書きたいことが何もないと言っていたが、家にもっと円形を導入する必要性を胎内感覚で説明するという視点がおもしろかった。近代の四角張った建築は、確かに落ち着ける場所ではないのかもしれない。ところで、洞窟探検になれていると書いているが、青木ヶ原の風穴に入って一番うるさかったのは、阪本さんだったような気がしたのだが、違っただろうか?
張さんの「Webデザイン論」はちょっと期待はずれである。彼女は他人にはなかなか厳しくて、去年の卒論などにもきつい批判をしていた。やはり去年のことだが、ぼくの研究室にある新聞社の記者が取材に来たことがあった。その時、脇で聞いていた彼女は、インタビューが済んで記者が帰ると、「なぁーんだ、がっかりやわ。ジャーナリストのイメージが崩れてしもうた」と言った。確かに、地味なおじさんだったし、鋭い質問をしてくることもなかったが、ずばっと言ったのには驚いてしまった。
そんな彼女のことだから、当然おもしろいものを書くだろうと期待をした。ところが、最初に持ってきた原稿には明らかに手抜きが感じられた。そのことを指摘すると、「もうめんどい」とその意気地なしぶりにはいささかがっかりだった。最後の一週間でかなりがんばって、それなりに格好がつくものになったが、もっともっとよくなったはずである。ついでにもう一つつけ加えておくと、提出した後、彼女はまた、「今夜からやることあらへん。どうして過ごそう」と言った。他人には厳しく、自分には甘くではなく、逆になること。それと、「見る前に飛べ」。彼女への遺言である。
もう一人期待はずれは木下君。彼もテーマはデザインだが、対象はパソコンだった。モノの普及には価格と機能性がまず優先するが、ある程度行き渡ると、次に大事になるのはデザイン。これは20世紀になって本格的になった消費社会にあって基本の基本である。そのあたりをおさえて、後はApple社をおこしたスティーブ・ジョブズの発想やポリシーと、最近のiMacまでの商品開発、DosV機との比較などをやる。ずいぶん前から構想はできていたから、ぼくは彼に、早く仕上げて卒論集の編集をやってもらうことにしていた。
ところが、1カ月前の提出日に出さなかったし、遅れて持ってきた原稿も、あまりはかどっていなかった。めどが立たないから、今年もぼくが編集作業をやることにしたが、彼の提出は最終日の締め切りちょっと前で、慌てたせいか、プリントアウトした卒論も汚れていた。で彼のページにつけたAppleやMacの写真も、ぼくがインターネットで探すはめになった。たぶん気張って力が入りすぎたのだと思う。
反対に最後までクールだったのが山田君。彼はゼミでもほとんど発言しない、いるのかいないのかわからないような存在だったが、ゼミに来るのは早かった。行事にもほとんど参加していたから、それが彼なりのペースだったのだと思う。1カ月前に持ってきた原稿も彼一人が手書きだった。
テーマのポケモンをぼくはほとんど知らない。だから、ゲームから出発してテレビ・アニメになり、映画にもなった経過から、メディアによるちがいや共通点などを整理したらどうかとアドバイスした。カード人気は、その交換という遊びを子どもたちの間ではやらせている。だから、カード、あるいはポケモン自体がメディアになっているのかもしれない。人気はアメリカにも波及しているが、従来の日本的なキャラクターとの違いは何なのだろうか。そんな話もした。山田君はそのような指摘をすべて素直に取り入れて、生真面目に書き入れてきた。荒木さん同様、脱線(飛躍)のないところが欠点だが、そこはやっぱり、アドバイスできるものではない。
熊沢さんは流行論と言っていたが、だんだんジーンズに的を絞るようになった。流行は社会の近代化とともに本格化する。何を着るのも身につけるのも自由で、その機会は平等に与えられている。となると当然、流行は豊かで社会的位置の高い所から低いほうに流れる。ところがジーンズはアメリカの黒人や白人労働者の作業着から逆に上に広まった。で、ヴィンテージなる高値の品物まで現れる。そこを調べて説明することと言うのが課題だったが、まあまあこなすことができた。しかし、熊沢さん独自の視点や材料や主張といった点ではまだまだという気がした。
ところで、彼女には卒論集の表紙に使う紙と製本テープを頼んだのだが、買ってきたのは印刷のできないつるつるの紙と、ガムテープだった。よく説明して念を押したはずだが、早とちりというか、うっかりというか.......。実は彼女は紙のサイズも店でわからなくなって、メールで問い合わせてきたのだ。ぼくはその返事のタイトルに「よく聞きなさい」と書いた。表紙は切り抜いて次頁に印刷したタイトルが見えるようにした。これまでのと違う感じで怪我の功名だが、彼女のうっかりをもう一つ。提出論文が一人だけ逆閉じになっている。横書きは左閉じなのに、彼女のだけが右閉じなのである。仕事で失敗をして叱られないよう、くれぐれも気をつけること。彼女にも最後の小言をプレゼントしておくことにする。
中屋君はコンパと合宿だけに顔を出す、不思議な学生である。ほとんど顔を見せないのに違和感なく溶け込んでいる。と言うか、かなり目立っている。青木ヶ原へのハイキングも、彼が行きたいと言いだしたのだ。ヘビー・スモーカーで大酒飲み。大学の4年間を、たぶん、ほとんど勉強せずに過ごしたはずだが、これで、他の学生と一緒に卒業できたら、大したものである。
卒論も、河口湖での合宿でただ一人発表をしたが、その後は、当然ほとんど相談に来なかった。で、最終日に登場。手書きだが、フロッピーも言われたとおり、きちんと打ち込んでテキスト・ファイルで持ってきた。休むことを勧めるわけではないが、これはこれで大学の過ごし方かもしれないと思う。何より、ぼくの手をほとんど煩わせていない。しかし、論文の内容はほめられたものではない。「喫煙論」だがコロンブス以来の歴史が大半で、とにかく、手間暇かけずに規定の枚数にしようと思えば、こんなやり方しかないのである。
ゼミに顔を出さないと言えば、もっと徹底していたのが西川君。彼はコンパも合宿も欠席した。たぶん、ゼミの学生とは誰ともつきあいがないだろうと思う。坊主頭でドラムを叩くロック青年。卒論のテーマも「パンク論」だった。締め切り一週間前に原稿を持ってひょっこりやってきた。その場でざっと読んだが、まあまあだったので、論文の体裁や提出方法、テキスト・ファイルと論文集のことなどを話しただけだった。で、最終日に彼もきっちり持ってきた。中屋君以上にゼミにはなじまなかったから、これと言って個人的に話をしたこともなかったが、これも一つのつきあい方だと思う。
最後は田所君。彼も休みがちで合宿にもコンパにも参加していない。ところが卒業アルバムの写真を撮る日にだけはやってきた。西川君とは違って、ゼミに友達はいるようだ。彼も、12月はじめに原稿を持ってきたのだが、「日本のポピュラー音楽」というタイトルで、中身はやっぱりどこにも書いてある歴史ばかりだった。ぼくにとっては今年が最後になるから、それでも、さっさと仕上げて出してくれたらいいと思っていたのだが、最終日の締め切り近くにやってきて、ここでプリントアウトしたいと言った。ふざけるなという気がしたが、時間は残り少ない。仕方なしに手伝ってあげたが、用紙のセットにしても、印刷した後の閉じる作業にしても、要領が悪くてどんくさい。彼は何度かメールでぼくに原稿を送ったのだが、一度として満足に届かなかった。「どんくさいな」と言ったら、いつでもそう言われると返答した。内容も誤字脱字が多い。文集を編集しながら訂正しはじめたが、途中でやめた。彼は社会に出たら苦労するタイプ。そのことを、もう一回確認してもらったほうがいいと思ったからである。
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