『林檎白書』第7号です。今年の卒業生の数はおよそ去年の半分。原因は、入学時の歩留まりの読み誤りでした。したがって、出発時点で26名もいた去年と違って、今年は15名。はじめて最初からぼくの研究室で2年間ゼミをやることができました。
少人数で和気あいあいと言いたいところですが、なれ合いのなあなあの雰囲気がいつの間にか生まれてしまったようです。大量入学した去年と違って、今年は少数精鋭となってもよかったのですが、ぼくのゼミに関しては、そんな傾向は感じられませんでした。
4年生になる時点で筒川さんが中嶋ゼミに移籍。彼女ときどき出戻っては、一人懐かしそうにしてましたが、どうしてゼミを代わったのか、理由はいまだにわかりません。
今年で7年目の西村君は、合宿には参加して論文を書くつもりにしていたようです。しかしとうとう授業料未納で除籍になって、いつの間にかいなくなってしまいました。
卒論を書かなかったのは新田君。単位不足で留年が決まっていたせいか、卒論に熱が入らなかったようです。ゼミの単位は取れてますから、孤独な作業での卒論作成ということになります。実は去年も一人、同じケースがありました。ところが卒論の締切がすぎても一度も顔を見せません。結局、出せるときに無理して書かないとやる気がなくなるということでしょうか。新田君はくれぐれも気をつけてください。たまには顔を見せないと、ぼくは君のことなどすぐ忘れてしまいます。
結局、卒論提出者は12名でした。おかげで、ページ数は100ちょっと。これは去年の半分で、文集作成作業はずいぶん楽なものでした。内容については、それぞれの文章と最後の寸評をお読みください。
女性の多い年は気をつけろ!というのが経験から得た鉄則ですが、今年もやっぱり、だったようです。
その一つ。小集団ができて、ゼミが一つにまとまらない。したがって、必要な情報は一人一人に確認しながら伝えなければならないということ。その二つ。研究室の一部で勝手なオシャベリが自然発生してしまうこと。たいがいはワイド・ショー的なもので、実はぼくはこの手の話を近くでやられるのが一番気にさわるのです。その三つ。冷たくすると萎縮するし、暖かくすると甘えてくる。その加減が何とも難しい。何かだんだん幼稚園か小学校の生徒とつきあっているような感覚になっています。その四つ。女性優位の年は、男性たちは萎縮してまるでダメになりがちだということ。今年はそうなる危険性がありましたが、一昨年ほどではなかったのが救いでした。
実は、最後の授業の日(1/8)に卒論集作成のスケジュールを決めたのですが、時間が始まったときにいたのは4、5人(ムカ)。表紙の紙やテープやペンを東急ハンズに買いに行ってもらう予定のT.I.さんは年末にそう言ってあったにもかかわらず「えー、今日私約束があって」とおっしゃった(ムカ)。K.S.さんとM.Y.さんは論文集を作る1月中に卒業旅行に出かけるとか(ムカムカ)。授業が終わる頃になってぞろぞろやってきたE.A.さん、S.U.さん、Y.Aさん。とうとう来なかったT.K.さん、H.I.君(ムカムカムカ)。ぼくがどんなに腹を立てて、卒論集もうやめようかな、と本気で考えたことわかってますか。
と、まあ、書き始めるとついつい嫌みばかりになってしまいましたが、最後は積極的に協力する人もいて、とにかくできあがったことに感謝、感謝。
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