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松下かな恵
  • 5月2日、私は「ヴァージン・スーサイズ」と言う映画をみた。この映画は名匠フランシスコ・コッポラの娘であり、フォトグラファー、また女優として活躍するソフィア・コッポラの長編初監督作である。原作はジェフリー・ユージェニデスのベストセラー「THE VIRGIN SUICIDES」。邦題は「ヘビトンボの季節に自殺した5人姉妹」。
  • 舞台は70年代のアメリカの郊外。父は数学者、母は厳格で敬虔なクリスチャンであるリズボンけには、13歳から17歳までの美人5姉妹がいた。近所に住む少年たちは皆、彼女たちに憧憬を抱いていた。彼女たちは父と母の方針で学校以外の外出を固く禁じられ、社会から隔絶された生活を送っていた。
  • 6月のある日、末娘のセシリアが自殺未遂を起こしてしまう。精神科医は、彼女の自殺未遂は下界との接触の少なさや抑圧された生活のストレスからであると診断した。そのためリズボンけでは自宅で男の子たちを招待したホーム・パーティを開いた。しかし、一人部屋の隅にうつむいて座り、溶け込めないでいたセシリアは、窓から身を投げ、今度は本当に帰らぬ人となってしまう。
  • 新学期が始まり、残された4人姉妹は学校に通い始め、表面は何もなかったようにふるまっていた。しかし、ラックスの起こした事件を機に、セシリアの死で過敏になっていた母親は彼女たちを学校にもいかせず、完全に部屋に閉じ込めてしまうのであった。近所に住む少年たちは、彼女らを何とか救い出そうと計画するが、限界にきていた姉妹たちはついに…。
  • 映画を見ての感想は、すごい話だなと思った。私は、この映画の内容を友達に聞いたり、雑誌で読んだ時は何か暗そうな話だなと思った。しかし映画を観てみると、ただ暗く彼女たちの事件が描かれているわけではなかったので驚いた。
  • 何で彼女たちはああいう結末を選んでしまったのだろうか。映画を見ても、そういう事はあまり分からない。映画の中では彼女たちの心境というのが、意図的であるのかあまり語られないし、何故母が娘たちを家に閉じ込めたのかそんな気持ちも見えてこなかった。しかし、セシリアの死による姉妹の苦悩や、それをみる少年たちの戸惑いなどは伝わってきた。
  • 映画の中でセシリアが自殺未遂をした時に、医師の「まだ人生の辛さも知る年にもなっていないのに」という言葉に「でも先生は13歳の女の子になったことはないでしょ。」と答えたのがすごく印象に残った。何かそれがセシリアの叫びであったように感じた。
  • そして、少年たちの目を通して物語が語られることで、より彼らにも、大人の女性にも、家族にも入り込めない少女特有の揺れ動く感情、繊細で微妙に揺れ動く不安定で不可解な心情というのが生々しく描かれていたと思う。
  • 少年たちの無邪気さに比べて彼女たちは大人だったのだろう。彼女たちの人生はまだこれからだったというのは当たり前だ。しかし、これから始まるということは、何かが終わることなのかもしれない。その時、彼女たちはああいう結末を選んだのだろうか。
  • 私は、彼女たちに比べるとずっと子供だった。無邪気な心を失うということも考えたことはなかったし、何かの終わり、そして始まりもあまり感じることなくここまできてしまった。
  • この映画を見てすぐは、どんな事をいおうとしていたのか正直言ってあまりよく分からなかった。今でもよく分かっていないのかもしれない。ただ、すごく何ともいえない余韻の残る映画だった。