「グッチ一族」 矢野将則
「GUCCI」。1923年、イタリアのフィレンッエにあるトルナヴォーニ通りに、創立者グッチオ・グッチが革製品を扱う会社を始めた事にはじまる。現在の日本でも、プラダ、エルメスなどに並び、インポートブランドとして人気を集めている。
しかし、ショウなどで見せるその華やかエメージとは裏腹に、その歴史は余りにも波乱に満ちていた。グッチ家、そこにスポットを当ててみる。
ロベルト・グッチ。彼はちょうどグッチオの孫、三世にあたる。彼は現在、イタリアで「フィレンッエの家」という革専門の会社を始めた。社員はほんの5人。妻とその息子たちが中心だ。事業はやっと軌道に乗りだしたところ。だが、自身の製品には他の物には負けない自信を持っている。だが、彼らには銘がない。グッチは名乗れないのだ。 |
1993年、グッチ一族はその所有権を手放した。他人に売ったのである。ロベルトは当時の事を今でも悔やんでいる。
彼の父、アルドは二代目であり、厳格な父でもあった。幼い頃から彼は社員として会社で育った。「ミルクよりも革を」という家訓どうり、一般の家庭とはほど遠い教育を受けたことが伺える。アルドの代でグッチは、資産960億、支店の数は500店舗にまで成長した。生前彼が口にしていた、「我が社は誰にもつぶせない。」は、後に皮肉ほ呼ぶ事になった。
ロベルトの兄パオロ。彼は父のやり方には同調できず、いとこのマウリチオと手を組み、アルド失脚を企んだ。企みは成功。マウリチオは全株の所有者となり、会長の座に就いた。1990年、アルドはこの世を去る。だが、それも長くは続かず、結局、3年後には全株を手放すこととなった。
過去を乗り切れぬまま、やる気を無くしていた彼を、再度奮い立たせたのは妻だった。彼女の見せた、ボール紙でできたバッグ、全てはそこから始まったのである。 |
彼の理念は先代にあやかり"手作りの製品である事""世界へ進出する"の二つである。生産部は主に、長男のコジモ、営業には次男のフィリッポがつとめる。
だが、名も知れない会社に対するニーズの反応は簡単には上がらない。よく、販売業者にはグッチを名乗れと言われるが、それは出来ないのだ。サインにグッチと書くだけで、訴えざたになった事もある。品物は良い、だが、知名度が無い。ロベルトはその家族への責任感から、一族での事業にこだわっている。ところが、フィリッポは父に反発し、独立を為し得た。安価な製品を米へ輸出するのだ。
また、海外への進出もあまりおもわしくない。必要以上にこだわる父に、コジモは反対を呼びかける。そんな時、ロベルトは昔自分の兄弟達が父に反発した事を思い出すのである。
彼らの手から完全に離れてしまった"グッチ"。その業績は誰しもが知っているところだ。そんなかつての故郷を一族はどのような思いで見守るのであろう。
|