Book Review

Back Next



●最近読んだ本

S.ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』(みすず書房)

・人間はたえず自らの生存のために、他者に襲われる恐怖と、他者を襲う快感に取り憑かれて生きてきた。平和が規範になったのは、その恐怖や快感の直接的な経験から自らを遠ざけることができるようになった近代社会以降のことでしかない。そしてこの時代から、人びとは自分のことではない他者の経験としての恐怖や快感を物語や記事や写真として間接的に経験するようになった。
戦争という惨事がなくならないのは、そこに直接、恐怖し、苦痛を経験し、快感を覚え、さらには恨みや報復の思いを強くする人たちが存在してしまうからだ。無関係な人間がスペクタクルとして見物するのが不真面目だというなら、それを非難して義務として直視せよという人も、それが無関係であることを基盤にした発想であることを自覚すべきである。良識派をこのように批判するソンタグは、その理由として、「同情」を感じる心が自分が共犯者ではないと自覚するところに生まれるからだという。
われわれの同情は、われわれの無力と同時に、われわれの無罪を主張する。そのかぎりにおいて、それは(われわれの善意にもかかわらず)たとえ当然ではあっても、無責任な反応である。(p.102)
9.11以降のアメリカの行動やアメリカ人の心情が、グラウンド・ゼロの惨状を写した写真やビデオに強く影響されていることはいうまでもない。それが「集団的な記憶」として彼や彼女たちの心に深く刻まれて、報復や愛国心の意識を高揚させている。しかしソンタグは「集団的記憶」が虚偽の概念であり、それは「集団的教訓」として実態化するのだという。たとえば、直接被害にあった人、家族や友人を失った人の中には、自分の味わった苦しみや悲しみを国家政策の道具に利用してほしくないと訴える人も少なくないようだ。
集団的記憶と呼ばれるものは、記憶することではなく、規定することである。……イデオロギーが、裏付けとなる映像、代表的映像の文書保管所を作り出し、その保管所は共通の重大な思想をカプセルにいれ、予想可能な思いやりや感情を誘い出す。(p.84)
写真はそれ自体ではきわめて多義的なものである。しかし、それは見る者の立場によって、さまざまなレトリックで語りかけてくる。一枚の写真の意味はきわめて単純で、しかもくりかえし現れ、扇動する。そして「写真はコンセンサスという幻覚を創りだす。」(p.5)この本を読んで、写真や映像にたいする僕の思いはますます複雑で混沌としたものになってしまった。

感想をどうぞ