今年も卒論集を作ってしまった。面倒だからやめようと思ったのだが、2年つづけてゼミの活動補助費が認められたから、やることにした。学生はというと、出したい派、出したくない派、無関心派がほぼ同数で、やめたからといって残念がる学生は少数。だからもうこれで最後になるかもしれない。
今年の学生は11人。去年は18人だから半減で、その分ページ数が減らないのは、論文集用に文字の削減をしなかった学生がいたからだ。たいしたページ数にはならないから、今年はやかましくいわなかったせいもある。だから、凝縮してない分だけアメリカンという感じも否めない。
少人数で研究室でのゼミということもあって、今年の学生とはちょっと距離が近づきすぎたという反省がある。甘え、わがまま、身勝手、ずぼら………。女子学生がほとんどで、男の子たちは隅でひっそり。だから女子大になったような雰囲気に、ちょっととまどいぎみの1年でもあった。経験からいって、男子学生が元気な年の方がおもしろいのだが、今年はいかんせん多勢に無勢。そのせいではないけれども、百田君が卒論を出しそこねて留年。
もう何百本という卒論を読んできたせいか、あるいは大学院の修士論文をたくさん面倒見ているせいか、学部の卒論にむける関心や注ぐエネルギーが減ったな、と感じる。これは歳のせいかもしれないし、年々不勉強になる学生のせいかもしれない。今年は特に11月から猛烈な忙しさで、いつもの年にくらべたら、論文に注文をつけることも少なかったように思う。もっとも、学生によってはうるさいこといわれてうんざりしたと思っているかもしれない。しかし、数年前ならこんなものではなかったのだ。
入試委員をして入試課の職員と話すことが多くなった。そこで聞くのは、願書を書くのは母親で、問い合わせをしてくるのも母親。大学生にもなっておんぶにだっこの姿勢がますますひどくなっているようだ。研究室での授業が終わると、テーブルにゴミがいっぱい、借りた本も請求しなければ返さないということも目立つ。これはもう、家庭でのしつけの問題なのだと、同世代の親たちを批判したい気でいっぱいになってしまう。
だからこそ、うるさい親父を演じなければいけない。そうは思うのだが、少々疲れてきた。と、ついつい小言と愚痴ばかりになるからここらで、本題に入ろう。
1.映画の魅力〜羨望の利用と羨望への欲求 | 星野まこと |
2.虫と人心 | 若林菜津子 |
3.音における人びとの空間意識 | 関田夕香 |
4.買い物の文化 | 松下かな恵 |
5.北の国から | 床島恵美 |
6.日本社会に対する違和感—ダブルの視点から— | 槌矢裕子 |
7.ゴルフの存在 | 尾山智洋 |
8.若者のコミュニケーション | 斉藤優子 |
9.占い論 | 吉野千鶴 |
10.現代日本人文化 | 田中一樹 |
今年の論文でおもしろいと思ったのは2本。星野さんの「映画の魅力」は、映画のなかでテーマにされる「感情」に注目したものだ。最終的には「嫉妬」を中心にしたのだが、最初は漠然と「心理」ということだった。それで、自分で心理学の本を何冊か読んだようだが、少しもはっきりしてこない。「どうしたらいいか」という相談があったから、社会学での感情のとらえ方の話をして、何冊か本を貸した。そうしたら、すっかりそのおもしろさにはまりこんだようだ。「高橋由典のファンになりそう」ということばを聞いて、それなら、とジラールやモランの本を貸した。それに今年の「コミュニケーション論」で感情をテーマに話していたから、彼女のために「嫉妬」や「羨望」について詳しく講義することにした。彼女はクラブも最後までがんばっていて、卒論を途中でお休みした。その分、今一つという内容だが、考える楽しさが伝わってくるものにはなっている。
もう一つは若林さんの「虫」の話。彼女は編入生で前の大学では「生物学」を専攻していた。相変わらずパソコンには弱いし、極度の上がり症で、発表ではしばしば頭がまっ白になった。で、卒論は「虫」である。これでは、なぜコミュニケーション学部に来たのかと首を傾げてしまう。卒論のテーマ選びが二転三転した後、唐突に「あたし虫について書きます」といった。「あのね、ここでは生物学の論文書いてもダメなんだよ」といったら「はい、わかってますけど、私、虫が好きなんです」という返事。正直これは困ったと思ったが、話をしているうちに「現代人の虫嫌い」にテーマが絞れてきた。そのあとはそれほど相談に来ることもなく、書き上げた。ゆっくり・のんびりタイプで心配したが、締め切りにも間に合って、なかなかおもしろいものを書いてきた。人前での話は苦手だが、文章力はなかなかで、時に饒舌すぎるほどである。
次は努力賞を3本ほど。関田さんは「サウンドスケープ論」というテーマをずいぶん早くから決めていた。だったら、あちこちに出かけていって、自分の耳で直接確かめてくる。こんな宿題を出したのだが、時折報告することは、本の紹介ばかりで、いつまでたってもフィールド・ワークに出かけたという話にならなかった。彼女は横浜から4年間通い続けてきた。朝の1時限目でもほとんど遅刻せずに来る真面目な学生で、本を貸してあげると、それもきちんと読んできた。「せっかく新宿や渋谷、それに横浜など、にぎやかなところを通るのだから、音に注意して調べておいでよ」というと、「はい」と返事ばかりで、その成果がちっとも出てこない。たぶん恥ずかしかったのだと思う。若い女の子が繁華街で聞き耳を立ててうろうろしていれば、周囲の人に変な目で見られるかもしれないし、悪い男どもが声をかけてくるかもしれない。卒論は、そんな不十分さがのこるが、それなりにうまくまとまっている。
真面目でおとなしいのは松下さんの方が上手かもしれない。ちょっとからかうと顔が真っ赤になる。見るからに箱入り娘という感じの学生だ。彼女のテーマは「買い物」。で、デパートやスーパー、あるいはコンビニ、そして通販などを調べた。米軍基地のある福生に住んでいるから、周辺の人たちの買い物行動を調べること。彼女に出したのはそんな宿題だったのだが、関田さんと一緒でいつまでたっても報告がない。問いつめるとやっぱり恥ずかしくて調査などできないのだという。「体当たりで取材しないとおもしろいものは書けないよ」というと、「書けなくてもいいんです、新聞記者になるわけではないから」とおっしゃった。実は彼女は買い物が好きなわけでもない。お金はあまり使わずにしっかり貯めているようだ。成績もいい。おとなしいけど芯は強そうだから、ぼくはそれ以上何もいわない。
床島さんも編入で途中からやってきた。必ずしも真面目に出席する学生ではないから、いったい何に関心があるのかよくわからなかった。暖かい季節になると薄着で、最近流行の「へそだし」ということもあったから、「おなか冷やすとよくないよ」などと余計な説教をした。そうしたら、夏休み明けに「腸の病気で入院している」という連絡がはいった。治って顔を見せたときに、そのことを指摘すると、「お父さんにもおなじことを言われました」といった。そんなことがあって心配したのだが、卒論は早めに準備していたようだ。倉本聰の「北の国から」について。はじめにもってきたときは、倉本礼賛といった内容で、彼が嫌いなぼくとしては、いろいろ注文をつけたいところだったが、病み上がりを心配して一点だけにした。つまり「真実」ということばの意味について。倉本聰はクリスチャンだから、信仰として「真実」を信じている。しかし「真実」は結局どこにあるかわからないもので、信じるから真実になるといったものでしかない。そのことについの再考は、十分ではないが彼女なりにがんばったと思う。
ここからは苦言。
槌矢さん(この部分は本人の希望により削除します。)
尾山君は真面目に出席した唯一の男子学生である。いつもぼくの席からは最も遠いところで申し訳なさそうに座っていた。野球好きで、報告もそればかりだったが、卒論はゴルフになった。スポーツをテーマにするとはいっても、そこだけではダメで、スポーツを入り口にして見える社会や人間について考えること。この課題がなかなか理解できなかったようだ。だから報告はいつもあっという間に終わって、時間をもてあましてしまう。こんな調子では卒論も数枚で終わってしまうのではないかと心配した。ところが提出されたものは、字数を大幅に超えている。いつもとはちがって、なかなかおしゃべりだ。それはそれでいいのだが、ゴルフについて何でも書きましたという感じで、論文集では歴史の部分をぼくの独断で大幅にカットした。歴史を書いて何となく論文らしく見せかける。それは、学生が良くやる手だが、読んだときには、そこがまた何とも退屈になる。その証拠に、自分の文章を校正しながら彼は大きなあくびをした。しかし、とりあえずは書けて良かったと思っている。
斉藤さんは田中君とカップルである。ゼミに入ってくるときからそうだった。実はゼミ選考の時のレポートが田中君名でメールで送られてきたから、ひょっとしたらと思った。片方落としてしまおうかと思ったが、そうしなかった。それが間違った選択だったことは、ゼミを初めてすぐに気がついた。一緒に休む。遅刻するときも一緒にやってくる。当然隣同士でいつも座る。私語もある。やる気もそろってあまりない。やりにくいなと思った。そんな感じが一時あらたまったことがあった。彼女一人でゼミに来るようになって、報告にも積極的な姿勢が見え始めた。しかし長くはつづかなかった。で、卒論だが、電話を中心にした若者のコミュニケーションについて。最近ではあまりに月並みなテーマで、新しい視点や話題をどうさがすかが課題だったが、結局、ぼくの部屋からもっていった本や資料でまとめたものにとどまった。
吉野さんも編入で、しかもゼミは2年生と一緒の演習1だった。普通は演習2でそのまま持ちあがるのだが、どうしてもぼくのところに来たいと言った。ゼミも休みがちだったし、卒論のテーマも決まっていなかったから、ぼくは引き受けたくなかったのだが、今年は人数が少ないから仕方がなかった。案の定、4年生になっても休みが多く、卒論のテーマを聞いてもいつまでたっても決まらなかった。こういう学生はもうほっとくことにしているのだが、秋になって占いをテーマにすると言ってきた。何をどうするのかも聞かなかったし、11月の提出にも遅れたから、ぼくが読んだのは、大学への提出後である。ゼミではいつ頃からか、彼女のことを「社長」と呼ぶようになった。たまに顔を出しても必ず遅れてやってくるし、ぼくが小言を言っても平然とした顔をしている。動じないところがそれらしいのかもしれない。卒論のできはおそまつだが、どれだけの時間とエネルギーをつかえば単位が取れるか、合格するか。そのことはちゃんと心得ている。そういう意味では、社会にでてもうまくやっていけるタイプなのかもしれない。
最後に、田中君。彼は前述した斉藤さんの相棒である。彼も授業を良くさぼった。というよりは欠席の方がはるかにおおかった。ほかに単位ものこっていることだし、留年させてもいいのだが、それではまた、一年こちらが迷惑する。就職も決まっているようだから、早く放り出してしまおう。そんな気持ちで合格点を出した。ゼミでもいつもやる気がなさそうに、つまらなそうにしているから、何か興味があって本気になって考えてみたいことはないのか、とけしかけたことがある。すると意外なことに乗ってきた。卒論のテーマはその時彼が言ったことで、ひょっとしたら卒論ではがんばるかもしれないと思ったのだが、何冊かの本を適当に抜きが書きして作りあげたというものでしかない。彼が取り上げたのは現代の日本人と文化について。その無個性さ、おとなしさを批判したものだが、それは何より自分にむけられるべきものである。しかしこの論文には、そんな自省の弁はほとんどない。
今回書けなかった百田君についてもふれておこう。彼はまだまだたくさんの単位を残している。これでは卒業できそうもないと観念したら、卒論を書く意欲もなくしてしまったようだ。Jリーグについて地域との関係について考えようとしていて、それなりの準備もしていたから、書いてしまえば来年それだけ楽に単位を取ることができるはずなのだが、そうは思わなかったようだ。だいたい日頃彼の言動をみていて思うのは、何より要領の悪さ。肝心なところであきらめたり、ポカをやってしまう。そのあたりは吉野さんや田中君とは対照的だ。よせばいいのに下級生に誘われて大学祭で店を出した。頼まれると断れない性格は、人望を得ることもあるが、そのために自分を犠牲にすることにもなってしまう。彼に言いたいのは、もっと自分の気持ちを他人にはっきりしめすこと。今一番必要なことは何かを基準にして行動すること。そうしないと来年も卒業できるかどうか、わからないよ。
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