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●最近読んだ本 |
記憶と記録、カズオ・イシグロの世界 |
・カズオ・イシグロの小説は「記憶」によって構成されている。それもノスタルジーが色濃い。NHKが放送した『カズオ・イシグロをさがして』の中で、生物学者の福岡伸一のそんな問いかけに、うなずいていた。そのやりとりが面白かったから、小説を全部読むことにした。まだすべてを読んだわけではないが、読んだ感想をまとめてみようと思う。![]() ・読みながらまず感じたのは、これが英語で書かれた小説の翻訳だとはとても思えない、という印象だった。女性が主人公で、女同士のやりとりが多いということもあって、書き手が男であるということにも違和感をもった。懇意にしていた女性がしきりにアメリカ行きを画策していたのに、そんなこととは無縁だった主人公がなぜ、イギリスに移住したのか。彼女の離婚と再婚については何ら説明がないし、長崎ではおなかの中にいた長女が、大人になってイギリスで自殺をしたことにも、詳しい説明はなかった。記憶をたどることで、何を言おうとしたのか。よくわからないというのが、読んだ後の感想だった。 ![]() ・父親の勤める会社は、アヘンをインドから中国に持ち込む役割を担っていた。それで上海では外国人居留地で豊かな暮らしができたのだが、母親はまた、アヘン中毒者の蔓延に異議を唱え、糾弾する運動に関わってもいた。両親の失踪がそのことに原因があったことを明らかにすることで、主人公は自分のなかにあった少年時代の楽しい記憶と、現実との乖離に気づくことになる。 ![]() ・主人公がこだわるのは、あるべき姿としての執事である。彼が仕えた主人は、第二次大戦前後に政治の中枢で重要な役割をはたしていた。大英帝国のかつての栄光と戦後の衰退がテーマで、主人に対する社会の批判が、自分の記憶とは違うことがくり返し語られている。しかし、記憶と現実の乖離という点では、女中頭が彼に対して抱いていた好意をくみ取れなかったことの方が大きかったようだ。彼にとって彼女は、有能だが口うるさい同僚でしかなかったのである。 ![]() ・旅の途中でノルマン人の老騎士やサクソン人の若い戦士に出会い、竜のクエルグ退治につきあうことになる。人々が記憶をなくす原因は、この竜の仕業だったからである。物語は、これまでの作品とは違って、トールキンやモリスに共通した昔話になっている。で、最後に竜を退治すると、忘れていた記憶が蘇ることになる。果たしてそれは幸福なことか、あるいは不幸の始まりなのか。 ・人には誰にも、いやな記憶を忘れ、よい記憶だけで、自分の過去を創りあげたいという思いがある。しかし、それはまた、成長した自分の中で、あるいは他人や社会との間で、大きなズレになり、葛藤や諍いの原因になる。カズオ・イシグロの小説は確かに、「記憶」をテーマに、あるいは物語の本体にして出来上がっている。その意味では、「記憶」を「記録」する文学だと言っていい。 ・文学は、もともとは口伝えで残されてきたものである。それが文字で記録され、印刷されるようになって、現在の形になった。小説は、作者が物語の創造主になって描き出した世界だから、そこで展開される物語には自ずから「客観性」が備わっている。けれども、その物語を主人公の「記憶」として語らせれば、それは主人公による「主観的」な世界になる。カズオ・イシグロの描く世界から感じ取ったのは、何より、その違いから来る新鮮さだった。 |
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