卒論集.

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卒論集「有害図書」紹介
感想、寸評、愚痴、小言、そして感謝


2002年3月3日

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今年も卒論集を作ってしまった。面倒だからやめようと思ったのだが、2年つづけてゼミの活動補助費が認められたから、やることにした。学生はというと、出したい派、出したくない派、無関心派がほぼ同数で、やめたからといって残念がる学生は少数。だからもうこれで最後になるかもしれない。
今年の学生は11人。去年は18人だから半減で、その分ページ数が減らないのは、論文集用に文字の削減をしなかった学生がいたからだ。たいしたページ数にはならないから、今年はやかましくいわなかったせいもある。だから、凝縮してない分だけアメリカンという感じも否めない。
少人数で研究室でのゼミということもあって、今年の学生とはちょっと距離が近づきすぎたという反省がある。甘え、わがまま、身勝手、ずぼら………。女子学生がほとんどで、男の子たちは隅でひっそり。だから女子大になったような雰囲気に、ちょっととまどいぎみの1年でもあった。経験からいって、男子学生が元気な年の方がおもしろいのだが、今年はいかんせん多勢に無勢。そのせいではないけれども、百田君が卒論を出しそこねて留年。
もう何百本という卒論を読んできたせいか、あるいは大学院の修士論文をたくさん面倒見ているせいか、学部の卒論にむける関心や注ぐエネルギーが減ったな、と感じる。これは歳のせいかもしれないし、年々不勉強になる学生のせいかもしれない。今年は特に11月から猛烈な忙しさで、いつもの年にくらべたら、論文に注文をつけることも少なかったように思う。もっとも、学生によってはうるさいこといわれてうんざりしたと思っているかもしれない。しかし、数年前ならこんなものではなかったのだ。
入試委員をして入試課の職員と話すことが多くなった。そこで聞くのは、願書を書くのは母親で、問い合わせをしてくるのも母親。大学生にもなっておんぶにだっこの姿勢がますますひどくなっているようだ。研究室での授業が終わると、テーブルにゴミがいっぱい、借りた本も請求しなければ返さないということも目立つ。これはもう、家庭でのしつけの問題なのだと、同世代の親たちを批判したい気でいっぱいになってしまう。
だからこそ、うるさい親父を演じなければいけない。そうは思うのだが、少々疲れてきた。と、ついつい小言と愚痴ばかりになるからここらで、論題の紹介をしよう。

1.映画の魅力〜羨望の利用と羨望への欲求星野まこと
2.虫と人心若林菜津子
3.音における人びとの空間意識関田夕香
4.買い物の文化松下かな恵
5.北の国から床島恵美
6.日本社会に対する違和感—ダブルの視点から—槌矢裕子
7.ゴルフの存在尾山智洋
8.若者のコミュニケーション斉藤優子
9.占い論吉野千鶴
10.現代日本人文化田中一樹



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