<滅びゆく都営住宅>



 

 2年半前、運良く抽選に当たって、清瀬の都営中清戸住宅に住まうことになりました。近所の方々もたいへん温かく、最近ではまれにみるような地域共同体が存在していました。仕事から帰り、都営の区画内に入ると、ここはサンクチュアリ(聖域)であるかのような安心感があります。これは私が東京に住むようになってから、はじめての経験でした。





 

 ところが、私たちが住み始めて間もなく、この都営住宅は建て替えられることが決定しました。昭和30年代の建築で、地震が起これば、ひとたまりもないたてつけですから、仕方のないところですが、建て替えとともにこの温かい共同体も壊れるのかと思うと、とても寂しいものがあります。





 


 もうすでに一期工事が始まっており、30年間、人々を風雪から守り抜いた都営の建物は瞬く間に壊されています。小さな庭があり、そこに人々の生活の知恵と工夫がつまっていたこの都営住宅に、レクイエムを捧げたいと思います。そして、私はこの都営住宅で培った「住まう」ことの大切さをほかの土地においても実践していきたいと思っています。




 


 (1997/9/17)一期工事の都営住宅は解体され、そこには更地がひろがっています。30年間以上かけて創り上げた生活の痕跡もまた、ブルドーザーによって数週間にして解体されつくすのです。あと2年半でわたしたちの住居もまた同じ運命を辿ることになります。種から育った庭の木たちをどうやって救おうかと、今からいろいろ思案しています。





 

 写真のびわの木は、妻の実家の畑から送られてきたびわの実の種を埋めておいたら、そこから苗が育ってきたものです。種から育てたびわの木が巨木になるというような長いタイムスパンのなかで、私たち個人や家族の成長を感じることができるような体験は、ものすごく貴重なもののような気がします。結婚と同時に育ってきたこの木をどうしても守り、育てていきたいのです。





  

さて、滅びゆく都営住宅の最後には、希望をのっけたいと思います。都営住宅が解体されてまもなく、その更地には、青々とした草がはえてきました。あたりまえのことなのでしょうが、すごく感動しました。人間の営みをこえて、たくましく生きる自然のいのちの力は、なにかしら生きる勇気をあたえてくれるのです。この草は、戦後の廃墟のなかから、たくましく生きた子どもたちの姿と重なってうつります。しばらくすると、また建設工事が始まり、この更地は新しい生活の場へと変化していくことでしょう。そこでまた、雑草のようなたくましい力が、個を尊重しつつ、新しい共同性を生み出していくことを期待したいと思います。