多摩の散歩道 《1998/1/25発行 つくし出版》
−ひとつの森の物語− その7 気合
寒さが地表に貼りついています。西武池袋線からの富士山が1年中で最も美しく、神々しくそびえたつ時期になりました。たまのさんぽみちです。
朝の電車の窓のむこうに白く輝く富士山の威容に圧倒され、わたしが思わず声を上げそうになったとき、ほかの人々はほとんど無関心で、うつむいているままでした。「ああ、もったいない」ひたすらそう思います。富士山を信仰の対象として、あがめ、ひれふした昔の人たちの思い、なんだかわかるような気がします。美しくかつ人をよせつけない厳しいものへのあこがれ。人生を生き抜いていくための気合に通ずるものを感じます。うつむく人々があこがれをつかむために、あのとき、わたしは声を上げるべきではなかったか。そう思いつつも、この課題は、わたしの講義、ゼミ、すなわちわたしの森のなかにもちこしていこうと決意しています。それでも、帰りの駅ビルで、わたしたちが夕闇に沈む富士山を見ようと、エレベータに乗ったところ、小さな子どもを抱っこしたお父さんが子どもに富士山を見せようとエレベータで昇ったり、降りたりしている姿に出会いました。この二人の姿のなかに、子どものあこがれの根っこと子どもの育ちを支えるおとなのありようを垣間見ました。これからのつらい人生を生き抜くために、自らのあこがれの場に、子どもをいざない、ともにあこがれを分かち合うお父さんの姿は、学びと成長を支えるといういとなみがどのようなものであるのかをはっきりと教えてくれます。
この文章を書きすすめるうちに、自分自身の幼い頃の風景がじんわりと浮かび上がってきました。西鉄電車に新しい車両が導入されたとき、わざわざその電車にわたしを乗せるために、一駅だけの切符を買って一緒に乗ってくれた父。福岡に地下鉄ができたとき、よし行こうと誘ってくれた父。プロ野球のオープン戦が大牟田の延命球場で開催された小学校2年生のとき、学校に迎えに来て、学校を少し早退きさせて、ほんものの野球を見せてくれた父。自分のなかで長い間、封印されていた思い出が、通信を書きながらあふれでて、涙がとまらなくなってしまいました。
ぐっと立ち直って、もう一つの気合についてのお話。昨日、鬼太鼓(おんでこ)座の公演を聴いてまいりました。いやはや、鍛えられた身体とわざに裏打ちされた太鼓のものすごい迫力と、たしかな技能と自信に支えられた遊びごころの豊かさには、圧倒されました。佐渡の伝統芸能を現代の若者たちが蘇らせた鬼太鼓座のパフォーマンスは、世界に十分通じるものではないかと思います。若者のパワーが文化の創造に向かうとき、人のこころを打つ芸術が生み出されるのですね。鬼太鼓座のパフォーマンスをからだで感じながら、頭のなかではさまざまな着想が生まれてきました。これでもかこれでもかと自分たちのイメージの限界を壊していく鬼太鼓座のパフォーマンスは、授業の創造をもくろむわたしに大いなる刺激を与えてくれました。遊びとして文化。わたしは、パフォーマンスにおいてもっとも大事なことは、観客を甘く見ないことではないかと考えます。鬼太鼓座は、遊びごころに満ちていたけれども、観客に対してきわめて真摯な構えで向き合っていました。日常を超える世界にいざなうパフォーマーは、観客の前に立つ自分を厳しく見つめているのだと思います。人に対する気合ではなく、自分に対するこの気合こそが、観客を一段高い地平にいざなってくれるのです。人に対する気合は単なる説教ですから、これは堕落でしかない。鬼太鼓座からいただいた自分に対する気合のイメージは、何ものにも代え難いものでした。
それからもう一つ。今年もまた、厳寒の北海道を旅してまいりました。厳寒といいながらも、今冬は東京が大雪続きで、北海道のほうがむしろ雪が少ないぐらいでしたが(ちょっぴりおおげさ)。今年の北海道は、前半が江別の道立教育研究所での自主研修会への参加、後半が層雲峡と紋別の間あたりにある滝西の森での生活と二つの大きな目的がありました。
研修会はみのり多いものでした。北海道の高校の先生たちと二晩かけてじっくり話し合う場は、わたしにとって貴重な時間、空間になりつつあります。今年は、特別ゲストとして、1960年代終盤の高校紛争のあと、その精神を保ちながら、地域に根づいた市民大学などの活動をしている岩田さんという方が来られました。岩田さんらから当時の高校紛争の話を聴き、1960年代の高度経済成長の過程で日本の社会には大きな亀裂が入ったのだなということを思い知らされました。日米安保闘争から学生運動に至る1960年代のせめぎ合いの末、社会の主流は、経済に至上の価値をおくグループがおさえることとなりました。人間らしく生きる価値を唱えた人たちは、あのときは敗北したように見えましたが、今とても元気です。ともにつながっていける人たちと出会えたことは、これからのしごとの支えになります。
昨年は一泊だけで名残惜しく去った滝西の森には、今年は四泊してきました。昨年の友、つよしくんとも再会し、五右衛門風呂で一年ぶりに語り合ってきました。つよしくんのなかでもいろいろと心境の変化があったみたいで、少年の一年間の成長の姿にたのもしさを感じました。今年の森をどのように総括したらよいのか、まだ自分のなかで定まっていないのですが、森とはそもそも何なのか、わたしにとっての森の意味を少しばかり書いて、本号のおわりにしたいと思います。
一言で言えば、森とは、すべて余計なものを削ぎ落とした自分と出会う場です。鎧や兜を取り払い、慰戯に心を紛らわせることもせず、裸の自分と出会う場、それがわたしが昨年発見した森だったように思います。そういう自分と出会えてはじめて人とも出会えた場、それが森でした。来年度こそは、わたしがコーディネートする学びの場に、森につながる一本の苗を植えることができるように、自分に気合を入れたいと思っています。