多摩の散歩道      《1997/1/25発行 つくし出版》
  −ひとつの森の物語− その1 トポリア(場所への愛)



 個人通信誌が帰ってきました。半年間休みながら、考えた表題が「多摩の散歩道」です。副題は「ひとつの森の物語」。この二つの題には、この半年の間に、わたしに起こった大きな変化が埋め込まれています。
 一つ目は、就職です。九州から東京に出てきて、十一年間、大学生あるいは大学院生として、プロフェッショナル・スチューデンドの道を究めてきたのですが、今春四月から、大学で勤めることになりました。わたしにとっては、これは十一年ぶりの大きな変化で、井の中のかわずが大海に飛び込むわけですから、心のなかは、今まで温めてきた着想が一つの形をもつことへの喜びと、それが実践の場でどのように受けとめられるのかという不安でいっぱいです。
 この就職には、わたしにとって、もう一つ大きな意味がありました。それは、東京の大学(東京経済大学:東京都国分寺市)に勤めることにより、しばらくの間、東京で暮らすことになったということです。以前から、わたしは東京には人がたくさんいるから、何もわたしがここにいる必要はない、いずれ地方に住むことにしたい、と考えていました。ところが、今回の就職の決定は、わたしの意図とは反するものでした。これは、まだまだ地方で一人立ちする力はない、東京でさらに学び、自らの思想を建て上げなさいという神のお言葉だったように思います。わたしは、東京のなかでとくに愛する多摩地区の大学に導かれたことを喜び、ここに「住まう」ことを決意しました。「住まう」とは、しばらく温めていることばで、その場所を愛し、生活を営んでいくということを意味します。こうして、新しい個人通信誌の表題は「多摩の散歩道」となりました。
 さて、二つ目の大きな変化は、厳寒の北海道の森のなかで一日過ごしたことです。この一月、北海道を旅して、旭川から二時間強、層雲峡の近くの森のなかで「子どもの村」を営んでいるおじじさんとおばばさんのところへ行ってきました。氷点下22℃の寒さのなか、山小屋で毛布一枚で一晩を過ごした経験と、雪が舞う森のなかで小学校4年生のつよしくんと一緒に五右衛門風呂に入って、語り合った経験は、わたしの生活に確かな温かさを与えてくれています。五右衛門風呂で温まったあと、はだかで雪のなかを小川まで歩き、半分凍っている川の水を身体に浴びたとき、わたしのうちがわから温かくほてっていく身体にはじめて気づきました。そのとき、わたしは今まで身体のそとがわを護ろうとして、いろんな不必要なものを身に纏っていたことを省みました。
 森ではいくつもの話が重層的に語られます。語りは語られ、共有され、再度語られ直し、そこから一人ひとりが豊かなことばを汲み取っていきます。おじじさんが語ってくれた、森が極相に至るまで1500年かかるという話、アイヌが護ってきた1500年の森を日本人が開拓という名の下に破壊しつくしてしまった話、そしていま、おじじさんが1500年後の森に思いを馳せながら森を楽しみ、森に学んでいる話。さらには、おばばさんが語ってくれた、反戦の哲学者だったお父さんの中井正一さんの話、寒い小川に晒すことで余分な色がとれ、美しく輝く藍染の話。それから、つよしくんが語ってくれた、森に来る前はコンピューター・ゲームがしたかったのだけど、森に来てからはもうしたいとは思わないという話、森には大切なものがなんでもあって、森に聴けば、なんでも教えてくれるという話。生かされていることの荘厳さを教えてくれたおじじさん、生きる営みの調和と美しさを教えてくれたおばばさん、生きるということの愛しさを教えてくれたつよしくん。わたしは、森とそこに生きる人々から、ほんとうに多くの贈り物を受けたように思います。
 そして、東京に帰ったいま、わたしは、この多摩で、一つの森を創り上げたいと思っています。語りの場としての森です。わたしたちの生活は、いまここにあります。小さい庭に、生ゴミを埋め、のらねこや小鳥たちと共存しながら、堆肥で草木を育て、野菜を作る、これが今のわたしたちの生活です。四月からは、一人の実践者として、大学生とともに学びながら、その果実を思想、理論として膨らませていく、これからのわたしの生活は、今のわたしたちの生活に重層性を帯びさせることでしょう。こうした生活を、個人通信誌を通して、それぞれの森をもち、森に生きる人たちと分かち合っていく、これが今からのわたしたちの生活となります。
 このような思いをもって、個人通信誌「多摩の散歩道−一つの森の物語−」は幕をあけることになります。心にゆとりをもつため、隔月の発行にしようと思います。そして、語りたいことがあったときだけ語り、語りたいことがまだかたちにならないときはそっと黙る、そういう空間をここに創れたらいいなという願いをもっています。たまのさんぽの小さな森の空間に、ともに憩うことができたら、うれしいと思います。では、また、さようなら。