那須俊春さん
<那須俊春さんにとっての三池争議>




 【那須俊春さんの聞き取りの記録:1997/8/26(火)−大牟田市役所】

 私と那須さんとの出会いについて、少しばかり語っておこう。私が那須さんのことを知ったのは、NHKのドキュメンタリー「戦後50年、そのとき日本は」の番組を観てのことだった。三池争議の終結の際、那須さんは三池炭鉱の指名解雇者の代表として演説を行われた。この演説はまことに感動的なものであった。「あとに続く者たちを信じる」という名文句を残した演説は、番組を観た私にも響いてきた。あの演説は、三池炭鉱の労働者に向けられた演説であっただろうが、「あとに続く者たちを信じる」というのは、私たちのようなあとの世代にも向けられた演説ではなかったか。私はそのように突き動かされた。そして、那須さんに直接会ってみようと思い、極めて原始的な方法ではあったが、実家の母に連絡し、大牟田の電話帳に那須俊春さんという人がいないかどうか調べてほしいと頼んだ。すると、那須さんの名前があり、那須さんはまだ大牟田におられることがわかった。そして、夏休みの帰省を利用して、那須さんに会っていただこうと考えた。
 1997年の大学に勤めて初めての夏休み、私は8月23日に新幹線で東京を離れて、米原で途中下車、前川俊行さんのお宅にうかがい、一泊お世話になり、24日に大牟田に向かった。そして、その夜、大牟田の実家から那須俊春さんのお宅にお電話を入れた。奥様が電話口に出られた。初対面の方に電話をするときは、どのように自分のことと用件を伝えたらいいのか、難しいものであるが、こういうとき同郷の者同士だとスムーズにいくものである。このとき、私は大牟田の出身で、東京に住んでいるが、今帰省していて、戦後50年の番組を観て、ぜひとも那須さんのお話をうかがいたいと思い、お電話をしたと語った。これに対して、奥様は、「所用ででかけておりまして、帰宅は10時ぐらいになると思います」とおっしゃった。私が、那須さんはまだお勤めをなさっているのですか、と尋ねたところ、「ええ、市会議員をやっとります」と言われ、そこではじめて那須さんが市会議員であることを知り、不勉強に恥ずかしい思いをした。その後、いつまで帰省されるのかと聞かれて、1週間ほどと答えると、那須さんは明日から人間ドッグに2週間ほど入る予定であり、ちょっと会うのは難しいかもしれないという話だった。10時にもう一度、お電話を入れたが、まだ那須さんはご不在だった。これは難しいとあきらめかけていたところ、那須さんご本人から電話をいただいたのだ。
 私は那須さんの最初の声を鮮明に覚えている。というのも、番組で観た三池争議終結の演説の声とあまりにも同じであったからだ。那須さんは、人間ドッグの日程を調整して、私に会っていただけるとのことだった。格調高い声で、とても丁寧な対応をしていただいた。私は、あの那須さんと会えると緊張しながら、電話の翌々日の1997年8月26日(火)、3時35分自転車で実家を出た。そして、4時に市役所の応接室で那須さんと初めて出会うことになる。(続く)

  <出会いの場面まで1997/10/5>