『三池のこども』
−闘いの中から生まれた作文集−

新読書社編集部編(1960)




 新読書社の伊集院郁夫さんから貴重な作文集『三池のこども』を送っていただいた。この本は、1960年8月30日に刊行されている。まさに三池争議のまっただ中に、三池労組の闘いを支援するために出されたものである。この1960年という時期に、政治的な意図から作文の選別が行われているとはいえ、子どもたちの作文の質の高さには驚かされる。
 例えば、荒尾第二中学一年の杉村和子さんの作品には、次のような文章がある。
 「学校での休み時間になると、きまって話の内容はとうそうのことだ。「ほんなこてうらぎり者がね、第二組合の人は死なすとよか。うらめしか。早よ会社は『負けました』と頭を下げてネば上ぐっとよかっに(いいのに)』と、みんな集って、こんな話をする。この組にも、第二組合を父に持つ人もいる。首切りの来た友だちもいる。自分のおとうさんが、第二組合の子供は、しょんぼりして学校に来るそうだ。私は、子供がかわいそうだなと思う。
 この間、会社は飛行機から、色とりどりのビラをまきちらす。『ああちょうどよかたい。便所紙にするけん』妹たちの拾ってくるビラを受取り、見もしないで『いつも、おかしかデマばかり書いて』といいながら、丸くってすてる母。私は、会社がやとう飛行機や、せんでんのビラのお金があるなら“赤字”といわないで、首切りはせぬといいのにと思う。」
 杉村さんは、三池労組(第一組合)の父をもち、その主張の正当性を認めながらも、「うらぎり者がね、第二組合の人は死なすとよか」という話には組みしない。子どもが親を選べないことがわかっているから、第二組合の父をもつ子どもたちに対して、同情のこころをもっているのだ。さらに、「せんでんのビラのお金があるなら〜」という文章で、一方的な首切りを進めながら、宣伝や中傷によって労働運動を抑え込もうとする独占資本の姿勢を批判している。争議から37年もたった今、読み直してみても、三池の子どもたちの社会に対する批判意識の高さに圧倒される。子どもたち自身が明確な政治的な存在であったことが、社会への参加意識を生み出し、このような認識を育ませたのであろう。
 さらに、中学二年生のある女の子の作品は、当時の警察やマスコミに対して、「信頼される警官になって下さい」というタイトルで、次のように訴えている。
 「苦しい闘争ははげしくなり、社宅内にいる警官は多くなっています。何も悪いことはしないのに、ただ会社と労働組合の闘いなのに、どうして警官がはいってこなければならないのでしょうか。テレビや映画に出てくる警官は、正義の味方の良い人たちです。
 でも、私はなんだか信頼できない人たちに見えてきました。私たはよく、警官たちと組合員の人たちが、争う現場をこの目で見ているのです。小さい、まだよくわからない子供たちも『警官は悪かっね』と聞きます。その時は「ちがう、良か人よ」といいます。小さい何もわからぬ幼児たちに、悪い影響を与えないためです。
 それから、新聞社も何かむこうに加勢しているように、ウソばかりではありませんか。『これは間違っている』と思うことを書いてあったり、ラジオで聞いたりします。」
 争議が子どもたちの生活すべてに影響を与え、子どもたちの生活が政治化されていたということで、彼女らの眼力は研ぎすまされているように思える。彼女らは、生活のなかの出来事から警察やマスコミが決して中立ではないことを自分なりに見据え、文章として記している。
 ほかの子どもたちの作文を読んでいても、彼らは公正や正義に拠って立ち、社会のしくみを的確に批判している。今の子どもたちとは、まるで社会に対する構えが違うのある。今、学校で、このような作文を書く子どもはいない。それだけ、彼らの生活は政治から遠くなったのだろうか。それが全くそうではないのである。
 私には、今の子どもたちの生活は、あの三池争議のときよりも、政治化させられているように思われる。政治化されるとは、大人の意図、社会の意図、独占資本の意図、消費文化の動向に影響させられやすいということであるが、子どもの生活の政治化は1980年代以降、ますます進んでいる。
 今や子どもの欲望のほとんどは、商品によって形づくられる。TV漬け、ゲーム漬けにされた子どもは自らの欲望をかたどるいとまを奪われている。子どもは、消費文化のなかに組み込まれるに絶好の条件を備えているのである。1960年代の労働者の文化の解体後、消費文化が大衆文化を席巻してしまった。この過程で、子どもたちの身体はすさまじい勢いで市場化されている。市場至上主義が人間が安心して生きる土台までも奪い尽くしたとバブル(地上げ屋のことを思い起こそう)ののち、女子高校生の援助交際が蔓延し始めたのは、当然のことだったのである。
 そもそも1960年の三池争議の闘いが問いかけたことは、一体なんだったのか。あのとき、警察やマスコミが守ろうとしたものは何だったのか。さらに、市民といわれる人たちたちはなぜ無関心と無言の権力で、闘う人たちを孤立させていったのだろうか。『三池のこども』が語るような子どもたちの素朴な思いは、一体どこへ吸収されていったのだろうか。