<清瀬の四季−1999春>
清瀬の四季を始めてから2年ほどたちました。この間、清瀬の緑と土と水の美しさが、所沢・清瀬の産業廃棄物処理場のダイオキシン汚染と背中合わせであることを知り、愕然としました。ダイオキシンで問題になっている所沢のくぬぎ山もほんの10年ほど前までは、美しい雑木林に囲まれた空気の澄んだところだったといわれます。身体が弱く、喘息がちだった人々が、自然を求めて、所沢に居住したところ、産業廃棄物処理場の煙に巻かれて生きていかなくてはならないようになったのです。
今、緑と土と水が残っているところは、開発の価値がないと思われているところに限られています。開発してカネになるところは、徹底的に破壊し尽くされてきました。そして、都心から近いけれども、交通の便が悪く住宅地としては開発価値が低い、所沢(くぬぎ山地域、東所沢地域)には、産業廃棄物工場が蟻のように群がったのです。こういう状況の中、駅から近く、交通の便もよいところに、畑が広がっている清瀬の環境は貴重です。それでも、わたしたちが清瀬に住んでからわずか4年ほどの間に、住宅が畑を侵食し、けやき通りから富士山が見えるスポットが次第になくなりつつあります。
今回、清瀬の春を掲載することにより、清瀬の四季はようやく完成をみます。この清瀬の四季が、「あの頃はこんなに緑があって良かった」という記念碑になるのではなく、こういう街を創っていこうという運動の出発点となることを願っています。
清瀬の春
「けやき通り」沿いに広がる畑は、どの季節もすばらしいのですが、春は生命力が地中から沸き上がってくるのが感じられて、また格別です。春の花のなかでも、わたしが好きなのは、菜の花。黄色の鮮やかな花と葉っぱの緑のコントラストが見事です。畑に咲き誇って、わたしたちの目を楽しませてくれます。
畑の主とも思えるユーカリの木は、「けやき通り」の象徴です。一度、てっぺんが折れて、枯れるのではと心配になりましたが、また持ち直しています。それでも、数年前の女王のような輝きは失せて、老いの表情を見せるようになりました。寿命なのか、あるいは周りの開発の煽りを受けたのか、定かではありません。
撮影したのは、風の強い春の日でした。菜の花が風にそよいでいます。菜の花やレンゲ、そういう一昔前ならば当たり前のニッポンの風景が、わたしたちの身近なところから消えていきました。菜の花畑やレンゲ畑が、少年や少女が大人になっていくときの苦しさを受けとめてくれた、あの頃を思い出します。大切にしたい風景です。
都営住宅はあとわずかで取り壊され、新しい高層の建物に取って代わられます。東京オリンピックの頃、造られた住宅地でした。あの頃はまだ地域を築いていくエネルギーとつながりが人々のなかに残っていたように思います。新しい建物に代わり、多くのお年寄りが元気をなくされるのではないかと不安です。そして、清瀬の街を慈しめる人たちに入居してもらいたいと切に願います。
「けやき通り」は歩道も充実していて、安心して歩き、自転車に乗れる通りです。これは悪名高い「小金井街道」とは大違いです。「けやき通り」は通り抜けができない行き止まりの通りですから、わたしたち住民の安全が守られています。不便なことは、人々の暮らしにおいてはプラスであることも多いのです。たまたま不便で幸運なことに住み良いというのでは、いつかは開発で蹂躙され、危険にさらされます。あえて不便に設計するという都市計画の思想が求められているように思います。
発展を追い求めていくのではなく、ここに戻ってきたら、あの日の風景がまだ残っていたという安心を大切にするという生き方も必要であるように思います。父母、祖父母から受け継いだ風景を守り続けることは、決して保守的な思想ではありません。変わりゆく時代の中で、同じ風景を守り続けるということは、これこそ厳しい闘いを求められることでしょう。それでも、守り、育てるということ、ここに私は賭けたいのです。