<教育方法コメント(7)>


第七回:テーマ【教室にやってきた未来】



 
 この2週間で、八つの高校と一つの中学校の計9校をまわってきました。今年の実習生は、それぞれが悩みながらも、自分の持ち味を出して、とてもいい経験を積んでいるようです。今日は、教育実習生の人たちのほかほかの経験に、皆さんが出会うこととなります。ゲストの実習生はみんな、実習を先週終えたばかりの人たちです。そのホットな経験に出会えることは、わたしたちにとって大いに意味をもつことだと確信します。来年か、再来年、それともその次か、皆さんが教職課程を完走しようと思うなら、必ず通らなくてはならない道がここにあります。
 実は、今日のゲストの人々は、昨年の皆さんと同じように、この「教育方法」の授業に、そちら側の席に座って、参加していた人たちなのです。この授業を通して、人間関係がつくられ、次の年に後輩のために、自分の経験を話してくれるなんて、とてもすてきなことではありませんか。今日は、皆さんもこころをひらいて、ゲストの人々にさまざまな不安や疑問などをぶつけてみてください。

 《先週のビデオ「教室にやってきた未来」の感想》

 ・「今日のビデオでクモを見つけて子供達が大騒ぎしていた。その事で先生がもし自分がクモの立場だったらどう思うだろうかとおっしゃっていた。そのことはいじめの問題にも大きく関わってくると感じた。
 なぜいじめはおこるのかと考えた時、そこには自分から見たその子のイメージと、周囲から見たその子のイメージのギャップから生じると思った。自分はその子のことをとても良い子と思っている。だが周囲の人の考え、うわさなどに自分が持っていたその子のイメージをすべて変えられてしまいがちだ。また『周りがよく思っていないから自分も…』『こう思わなければいじめられる』というものが、心の中にあるのではないかと感じた。そこから団体行動などが生まれ、いじめが生じるのだと思う。これは指導案の方でも取り上げていきたい。
 子供は素直なので、人のうわさなど、すべてを真にうけてしまいがちで、また『〜ちゃんと同じでなければ』という固定観念を強く持っている。『あの子はその子に対し、こう思っている。でも私はこう思う。』という自立心を養う授業をあのビデオで見ることができたので、とてもためになった。」(Tさん)

 →自分の経験と重ね合わせながら、授業の背後にある教師の思い、見えない子どもたちの学びと育ちを読みとっていった、とてもすぐれた感想だと、わたしは思った。「見つめる」ということばを手がかりとして、コンピューターという道具(ツール)を用いながら、あの授業でめざされていたのは、一人ひとりが違った「視点」をもち、違った「見つめ方」をしているということではなかっただろうか。教室の柱になり、クモになり、試行錯誤を続けていくうちに、柱になっているつもりが自分の視点から柱を見ている自分に気づき、他者の見方に立つとはどういうことかを学んでいく。この授業は、知識の習得の学習であるとともに、自分を発見し、他者を知ることによる人間関係の編み直しの学習でもあったのだと思う。Tさんの感想は、読者に授業の世界の深さとひろがりを感じさせてくれるものだった。 

 ・「私は高校まで非常に狭い世界に生活し、一つ事を中心に物を考えて生活してきました。そのため、ややもすれば世間知らずであり、思考に柔軟性がとても乏しい人間であります。したがって、この授業は私にとってはやっかいなものであり、回を重ねる度に自分がそういった世界には向いていないであろうと思わせるものです。今回VTRを見て自由に生徒と一緒になって授業を作っている先生方はやはり人間のできが違うと思わされました。またとり上げているテーマの“違った視点からものを見る”というのは、人と人との関係のうすい現代において相手のことを相手の視点で考えてあげるという大切なことに応用の効く良いテーマだと思い、ちょっとしたことでも深い授業にできるのはすごいと思いました。」(Mさん)

 →「思考に柔軟性がとても乏しい」ってことは決してありませんよ、Mさん。わたしは、あなたの感想から毎回ハッとさせられています。誰だって、最初から深い授業をできるわけがありません。人間を相手にする仕事ですから、思ったのとは違った反応が返ってきてあたふたしたり、とんでもない失敗をしたりするのは当然です。大切なのは、失敗からいかに多くのことを学べるかだと思います。目の前にいる子どもたちにどうしたら言葉が届くか、どうしたらともに学べるか、固有名詞をもつ子どもたちと向き合いながら考え、試行錯誤するしかないのです。わたしは実習生の2週間の成長にほんとうに驚きます。壁にぶつかった人ほどその成長には確かなてざわりがあるようです。

 ・「今日の授業は結構おもしろい内容だった。自分が生徒だったらあのように楽しい授業を受けたいと思う。その結果、自分が授業する時も『オレが生徒だったらあんな授業や話をしたら楽しいなあ』というのを第一に考えていこうと思った。だが実際に実行に移すとなれば難しいというのに気付いた。授業案を出せ、というのもかなり難しい。時間がかかりそうだが、自分自身の第一歩と思って、がんばってやろうと思う。」(Yさん)

 →正直でいいですね。「授業案を出せ」というのは難しい課題だけれども、学ぶ立場から教える立場への第一歩として挑戦してみて下さい。



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