<教育方法コメント(6)>


第六回:テーマ【授業のテーマからタクト(仕掛け)へ】



 
 いよいよ6月に入って、4年生は教育実習が始まりました。6/1にある学生から電話があり、「先生、ばっちしでしたよ」という第一声。一日目から授業を担当するという大変さにもかかわらず、労をいとわず収集した教材で、生徒をひきつける授業ができたそうです。もちろん、これから山あり谷ありの2週間となるでしょうが、やはり生き生きと準備をしている人には、それだけの報酬もあるものだと思わされました。この教育方法の授業で、皆さんが他の人たちから刺激を受けたり、自分自身で考えたことが、実りある教育実習につながっていくように、わたしもできるかぎりの工夫をしたいと考えています。

 さて、授業のテーマ(伝えたい思い)から授業のタクト(学びの仕掛け)へという先週のテーマでしたが、ここが一番難しいところです。学び手が学びの世界に入っていく、参加していく、その道筋をつけるのがタクトです。この筋道には、自然に(身近な問題から)学びの世界に入っていくように工夫したり、「あっと驚く」仕掛けを準備して学びの世界にいざなったり、つぼを押さえた問いかけによって学びの世界をひろげたり、さまざまなルートが考えられます。
 先週ビデオで観た「生と性」の総合学習は、高校生にとって身近な問題である「性」をテーマに、生徒たちを(ビデオを観ているわたしたちをも)学びの世界にひきこむものでした。先生が答えをもっているのではなく、ともに考えていくという目線の高さが、授業を生き生きとしたものにしていました。これも一つのタクトだと思います。さらに、2人1組の教師が担当するということで、教師の考えを相対化するという仕掛けも意味あるタクトです。教師はたしかに先達ではあるけれど、教師の考えもまたワン・オブ・ゼムであり、教師と向き合った上であなた自身が自分の生き方を選択しなさいというメッセージをこの形式ではっきりと発信しています。曖昧にごまかすことなく、「そこは重要なところだから、今度までにしっかり調べてくる」と言った男の先生の態度もまた、教師自身も真剣にこの問題を学び、考えていることを示していました。
 先々週のわたしの「アンデス(インカ帝国)」の授業は、民族音楽の「あっと驚く」楽器を準備し、学生に参加してもらうというのを学びのタクトにして、組み立てたものです。「あっと驚く」ものは、決して奇抜なものである必要はなく、「ほんもの」であれば、たいてい学びを促す力をもつように思います。昨年の実習生の「ほんもののココナッツ」を使った社会科(地理)の授業や、昔の紙幣を使った日本史の授業など。今年は、「ほんもののゴミ」を使った授業やゴミ処理場への見学など、意欲的な授業がなされる予定です。わたしの現場の師匠である久保敏彦先生は、世界中の楽器を操り、世界中の踊りを踊りながら、学びのライブを演じます。
 さて、今週観るビデオ「教室にやってきた未来」は、つぼを押さえた問いかけによって学びの世界をひろげたコンピュータ教育の実践です。コンピュータを自在に操る子どもたちに目がいくかもしれませんが、わたしは教師の問いかけに注目していただきたいと思います。○○(テーマ)を通して、何を学んでほしいかという(ねらい)がしっかりしているから、コンピュータが生きてくるのですね。わたしは、この授業者である苅宿先生から、「例えば『伝える』とか動詞のことばを使ってごらん」というアドバイスをいただきました。子どもの表現を促し、支援するために、動くことばを中心に据える、これはたいへん参考になりました。ビデオでは「見つめる」ということばがキーワードとして出てきます。このことばに注目してください。

 《授業のテーマ・タクト集》

 (1) 実存(生と死)と倫理についての授業

 「『恋愛』というテーマで授業をするということで、僕はターゲットとして、やはり高校生、大学生にする授業をしてみたいと思います。
 まず恋愛について歌われている邦楽の曲を聴いてもらいます。具体的に、自分が相手のことが好きだけど告白できずにいる人を歌ったもの、つきあっている人の片方が相手の人のためだけに歌ったもの、そして恋愛に破れた人が歌いたいような歌を聴いてもらいます。
 最初に告白したいと考える時の歌の感想を聞き、そこから『告白とは何か?告白によって人間関係はどう変化するか』を考えます。次につきあっている人が相手のために歌う歌の感想を聞き、そこからつきあいとは何か、愛とは何か、恋愛と結婚の違いetc.を考えます。ここが一番のメインになります。そして、別れの歌の感想を聞き、そこから恋愛関係の終焉はなぜおとずれるのか、離婚はなぜしなくてはならなくなるのかetc.を考えます。
 といった具合で、僕は『音楽を聴く→感想を持つ→恋愛とは何かをみなで考える』という手順で授業をしたいです。ただ、これには深い教材研究をするにはかなり難しいと思います。自分の経験が浅いからです。下手すると、生徒の方が深いかもしれません。ですが、だからこそ授業のやりがいがあると思うので、頑張ってみたいと思います。」(Aさん)
 →これはぜひとも受けてみたい授業です。おそらく生徒のほうがさまざまな経験において深いと思いますので、音楽は生徒に準備させてみるというのも一つのタクトですね。Aさん自身が愛する人のために作った曲を演奏したりしたら、ものすごいヒットになること間違いなし。盛り上がりそうです。そこでしんみりと別れについて語る。告白やつきあいは、生徒との対話によって進めて、別れについては、インタビューや調査でデータを準備しておくといいかもしれません。恋人が別れた理由や離婚の理由を。告白や恋愛のひだは、万葉集の『相聞歌』や俵万智の『サラダ記念日』なんかから引用してみても面白いと思います。相聞歌(ラブレターのやりとり)をじっさいに書いてもらうのです。

 「…中学生に教えていきたいと思った。いじめられる側で必ず悩むのは、教師または家族に打ちあけるかどうかだと思う。そこについても触れていけたらよいのではないかと感じた。」(Tさん)
 →とても重要なポイントをついているように思います。ダメだったり、ドジだったりすることを受けいれることができる大人が、近くにいれば、いじめられる子も救われるのでは?どうして周りの人に打ちあけられないか、話し合いをもってみてはいかが?

 (2) 環境問題についての授業

 「高校生を対象とした授業。…『みんなのかんちがい』といったテーマで進める。『わりばしとプラスチックのはし、どちらを使う?』といった質問。答えは、材木のクズからできているわりばしよりもプラスチックのはしを洗う洗剤のほうが環境に悪い。」(Kさん)
 →面白い。さらに考えてみると、プラスチックのはしを洗剤で洗うとは限らないですね。最近流行っている「ナイロンたわし」は洗剤無しで汚れが落とせます。また、合成洗剤を使わずに、石鹸を使うという方法もあります。生徒たちの家庭でどんな工夫がなされているか、調査をさせてみてはいかが?(中学生向きか)

 「テーマ:今の自分のバイト(ラーメン屋)でのわりばしの使用→実は廃材利用であって森林破壊の一役をかっているわけではない→日本人はみえる所にすぐ論議をおこすけど、みえない所では本当に何もわからないってことをいう(南米や東南アジアでは森林などがたくさんきられていてもみえないわけで)…」(Kさん)
 →見えないものを見させる。これが授業の極意ですね。学ぶということは、これまでとは違った世界を見つめるということだと、思います。

 「私は今日の授業を受けて、改めてゼロから考え直してみようと思った。…教の授業で先生や他の人のアイディアに触れて、『ゴミ』や『水』といったキーワードから私は『米』に関する授業をしてみたいと思った。私の実家は岩手県にあり、北陸地方に並んで日本有数の穀倉地帯である。しかし、近年は過疎化に伴う後継者不足、国の減反政策やコメ自由化に伴う農家の『米をつくろう!』という意識の低下や天候不順による不作などで収入が不安定などさまざまな問題をかかえている。…」(Aさん)
 →他の人に学び、つなげてテーマを構想するのは、楽しい。

 (3) 異文化を通して、自らを見つめ直す授業

 ◎「ワールド杯の年ということもあり、興味をひくのでは、ということで、日本と韓国について考えたい。そして、この授業の中では“固定観念”に触れたい。なぜなら現在のいじめという問題などとも結びついていると感じるからである。
 まず導入の部分で最近テレビや雑誌などにより特集されている歴史や国内状況などをサッカーと関連させ興味をもたせる。(韓国のニュース番組などでかなりそれに似たものをやっているので、それを見せたり、雑誌などから切り取り、手作りの教材を見せる。)
 生徒にどのようなイメージを持ったか、問う。また韓国の人はどのようなイメージを日本に感じているのかを話し合う。(事前に韓国の友人から聞いておく)どこに相違があるのか。またどのようにしたら埋められるのか。
 歴史を学んだり、お互いの国について学び、過去を知り、これからを考える。(日本はどのようなことをしたか?現在に至るまで。それに対する韓国の反応は?)対象は中学生」(Kさん)
 →日韓の問題と“固定観念”やいじめの問題とをつなげたところが卓見。韓国からみた日本と日本からみた韓国をつき合わせることによって、「他者」と出会う道筋をひらいたといえる。最近しばしば耳にする「いじめはいじめられる側にも問題がある」ということばは、ずっと考え続けてきたけれども、許容できないことばだとわたしは思う。なぜならば、そこにはいじめる側の論理が一方的にあるだけだからである。このことばを、かつていじめられていた人が使っているのを聞くと、わたしはさらに悲しくなる。かつて欧米の植民地にされるかもしれないと不安におののいた日本人が、その状況を脱すると、朝鮮半島や中国大陸に住む人々を蔑視するようになったことを思い起こす。
 さて、このテーマで授業をするのであれば、韓国の教科書を一つの教材として使ってみるのも有効なタクトになるかもしれない。最近(『わかりやすい韓国の歴史−国定韓国小学校社会科教科書−』石渡延男訳(明石書店))が出版され、日本語で韓国の教科書が読めるようになった。例えば、伊藤博文、安重根という人物が、日韓の教科書でそれぞれどのように記述されているのかを調べるなど。そもそも“固定観念”とは「他者」が介在しない(「他者」を介在させない)ところで生まれてくる。“固定観念”はすぐに偏見となる。「今の学生は勉強しない」とか「今の中学生は何をしでかすかわからない」というような言説も“固定観念”である。わたしは大学時代にリュックを背負って、韓国に放浪の旅に出かけたとき、韓国人は日本という国家に対しては当然恨みをもっているが、一人の日本人であるわたしに対しては親切で興味をもってくれているということを知り、「韓国人は日本人が嫌いだ」という“固定観念”から自由になった。
 (ここまで書いて、今思い出した。わたしは教育実習で、韓国の歴史について教えたのだった。旅をしたときの写真を回し、好評だった。)
 わたしはサッカーでの日韓戦の盛り上がりをみると、こういう好敵手(ライバル)がいることはお互いにとってとても貴重な財産だと思う。とても微妙で、難しいテーマであるが、こういう問題に正面から取り組んでいく学生がいることは、わたしにとって希望である。

 「〜日本人の国際化と民族差別について〜相手は母校(女子校)の高校生
 日本が戦争に染まり出す頃から現在までの中での日本人が植民地で行ってきたこと、また植民地の人々をどうあつかってきたか、そして現在ではどのような傷跡が残っているか、ということで身近なアジアの民族差別について語りたい。その中で、近年よく耳にする『国際社会』などの“国際”について考えたい。
 戦後代々の総理大臣や外務大臣の諸外国に対する語録などがあれば、『彼らはどういう風に思って(考えて)この様なことをのべたのか』とか、その言葉の歴史的背景とかが、それが正当な意見でなくても生徒から出てくれば授業がやりやすくなると思う。そして、戦争についての関心や興味がうすれ、過去日本が犯した行為については知っているが、それでもどこかで同じアジア人を差別してしまっている日本人についても生徒から意見が出たらいいと思う。」(とく名希望さん)
 →大問題ですから、どこから攻めていったらいいか。中曽根元首相の「日本国単一民族論」あたりから入って、在日韓国・朝鮮人、アイヌ民族、沖縄の人々などの話に進むというのも一つの方法。あとわたしの知り合いの先生が教えている横浜の小学校では、四ヶ国から子どもたちが来ていて、日本語がしゃべれないにもかかわらず、ケアがなされていないという話もある。日本の内なる国際化の問題から出発してみるのが地に足のついたタクトかと、わたしは考えます。



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