<教育方法コメント(3)>


第三回:テーマ【わたしが受けた授業】



 
(1) 『教師誕生』を観ての感想(その2)

 「『教師誕生』の先生達はみんな戦っていた。自分の伝えたい事、教えたい事を生徒達に伝えるために一生懸命工夫していた。先生が真剣に考えて授業をすれば子供達にも伝わるんだと思った。子供達に何かを伝えるために毎日を戦っている先生達が輝いて見えた。」(Wさん)

 「教師誕生のビデオを見て、感想の中でも出てきたが、自分(教師)は同じ授業をもう一度なり二度することができるが、子供(生徒)にとっては一つ一つの授業がそれぞれもう繰り返して受けることのできないものであるといった内容が印象的だった。…しかし、先生が考えていた以上に子供は何らかの形で学びとっていたのは先生の教え方が良かったからだと思う。」(Aさん)

 「ビデオを見て、最近の子供は自分の意見をしっかり持っていないといわれることはないと思った。ただ意見を言うことにはずかしさがあったり、まちがいを恐れたりしているのであると思う。だから、先生はほんのささいなきっかけをつくるだけで、子供達は自分の意見を言うことができると感じた。でもそのささいなきっかけが難しいのだと思う。」(Hさん)

 「自分が教師になれたら『先生が授業を展開するのではなく、生徒自身が創り上げていく授業をしたい』と思っていました。そんなこともあり、ビデオの中の女性の先生の『自分が授業の裏方。授業は生徒自身が創り上げるもの。私はそういう授業をやりたい』という言葉が深く印象に残りました。」(Aさん)

 「毎日の授業の中で、ほんの小さな事で、生徒が成長すると思うと、僕がもし先生になったらと思うと、自分の役割がとても重要であると思えてきて、とても不安になった。」(Sさん)

(2) 心に残った授業

 「中学の時、ギターを持ってきてる先生がいました。体育の先生でした。でも授業にギターをうまく取り入れてたわけではなく、雨の日にすることがなくてギターを弾いてくれたというだけです。」(Nさん)

 「中学時代、3分間スピーチが国語の授業であった。授業に入る前に一人みんなの前に立ってスピーチをする。題は決まってなくて自分で考える。例えば、『ノストラダムスの予言について』だったり、『世界の名言、名句』などと幅広い範囲のスピーチであった。タイムをきちんと計り、ぴったりだったり、本当に近かった人には、次回一回休めるという権利がもらえる。聞き手も楽しいし、スピーチする立場からも恥ずかしさはあるけれど、身になる貴重な時間であったと現在は思う。」(Hさん)

 「小学校の時、雪がすごくつもった時、授業をしないでみんなで雪がっせんをやったりした。いくつかのグループをつくって日記を書いたりもした。」(Sさん)

 「中学校の時に英語の授業で、先生の気に入っている洋楽を、生徒達に聞かせてくれたり、歌ったりした授業がありました。高校の時には、物理の授業で、しゃぼん玉とか、ペットボトルのロケットを飛ばす実験や、電気でパウンドケーキを焼く実験など、とりあえず、教科書にある実験をたくさんやる授業がありました。」(Iさん)

 「僕が受けてきた中で1番印象に残っている授業は中学のある授業である。それは担任の先生や授業を担当してもらっている先生の誕生会をした時である。…当日、授業に先生が来ると同時に『会』がはじまる。…先生も僕たちの本当の『授業をつぶしたい』という理由は分かっていても、満面の笑顔でその時間を過ごしてくれる。だから、僕らのクラス(中学2、3年時)はすごく思い出深い。そういうクラスを作ってくれた先生も尊敬している。だから僕も、先生になれれば、この先生のようになりたいと今日改めて感じた。」(Mさん)

 「小学校六年生の社会の時間、歴史の時間など、まるっきり話になってしまうことがたびたびあった。クレオパトラの話や怪奇現象の話、神話、ものすごく興味をひかれたし、おもしろかった。でも、それで終わることなく、内容はその時間のテーマにそっていて、わかりやすく話してくれた。」(Fさん)

 「私が印象に残っている授業は、中学校の時の社会科の授業です。社会の授業は、特に地理の授業は、教科書をあまり使わなかった。教科書を使わないで、いろいろな地域の産業や文化などのビデオをみたり、先生が実際に行った国のビデオをみたりして、感想を言い合ったりした。/あと、ディベートもやった。先生に出された議題について、賛成か反対に分かれて、なんで自分がそう思うか、資料をあつめたり、調べたりして、お互いに意見を出しあった。/あと、株式についてならう授業の時も印象に残っている。実際にある株を買ったことにして、ある期間でクラスで誰が株でもうかったかを競争したりした。」(Tさん)

 「小学校のとき、沖縄出身の先生が授業でちょうど取り扱っていた『さとうきび』の実物をもってきてくれて、みんなに食べさせてあげたことがあった。実物を見た私はとても感激した。10年以上も前のことだけれど、今でもはっきり印象に残っている。」(かれーぱんさん)

 「私の受けた授業でもっともよかったものは2つある。1つめはある先生である。この先生は上を向いたりして、絶対に目を合わせない。これは生徒である私にはリラックスできたし、ああいう方法もいい方法だなと納得できた。(先生の呼吸は生徒に合っていた。)もう1つは英語の外国人(高校時代)の先生の授業。それは毎回トピックスを書いて、テーマやテーマなしを書かせる。しゃべることが得意ではない私には最高であった。とくにテーマなしのときは好きかってなことを英語で書けておもしろかった。それにゼミみたいに机を合わせて、先生が一人一人に質問したりした。」(コープ1号さん)

 「小学校の時、日記に似たような“感じるノート”というものがあり、それには一日の出来事で自分自身感じたことを書くのですが、今でも読むと考えてしまう内容のものもあります。」(Kさん)

 「今でもはっきりと覚えているが、小学校二年生の時、『田んぼ』について授業をしていた。自宅で田を作っており、少しだが知識があった。その時、先生が『自分で思ったことや知っていることを発言しなさい』といい、内気だった私は知っていることもいえなかったが、誰も何も発言せず、しびれをきらした私は思い切って手を挙げ、発言した。先生は『その通りですね』と普通の態度だったが、私にとってすごく大きなことであり、体中に何か波のようなものが走った。それ以来、普通の発言できるようになったと思う。だから、生徒に自分から何かやらすのはとても重大なことだと思った。」(田舎の猿さん)

 「高校の倫理で賛否に分かれて、売春について話し合ったのは、二時間ではたりない程、もりあがった。」(Tさん)

 「私の中学時代の理科の先生、高校時代の理解の先生は、共に本当に実験を重視というか、楽しませてくれました。中学時代の先生は、毎日白衣で登場し、空気抵抗の授業ではわりばしと紙で飛行機をつくって、中3だったので、そこに志望校を書いて、よく飛ぶ(つまり落ちない)実験や、近づくのもこわい塩酸をなめたりもしました。生徒に実験のやり方を説明するにも効果音付で(口で)、自分が楽しんでやっていました。/高校の理科の先生は、一度社会人になって会社で働いていたけれども、自分の居場所はやはり学校だということで来た先生で、身近にあるものが実験の主体でした。飛行船をつくったり、空き缶をつぶすときはこういうふうに熱して水に入れるとすぐつぶれるとか、わたあめの装置をダンボールとモーターと紙コップでつくって食べたりして、内容がみんな興味をもつものばかりでした。」(Sさん)

 「今まで印象に残っている授業はおもいだせないけど、交換日記をしてくれる先生がいた。それもやりたい生徒だけ自分でノートを持っていって、何か書いていけば、先生の返事がかえってくるというものだった。最初は日記を書いてもっていく生徒は少なかったけど、最後はみんながやっていた。口にだして言えないことが紙に書いてわたすことならできたりするから、先生と生徒の信頼関係をうまくつくりだしていったのではないかと思う。」(Yさん)

 「私が高校生の頃にうけた国語の授業の中で短歌や俳句について学ぶことがありました。そこで生徒一人一人が書いて、クラス全員のをランダムに読んで、思ったことを感想として意見するということをしました。有名な人が作ったものじゃなく、自分と同年代の作品ということで、書いた人の感性や表現力のうまさが出ていたので、楽しい授業になりました。」(Kさん)

 「去年の政経の授業で受けた授業で、50分の半分で、自分たちの身近な問題を新聞、雑誌、本etc.によって先生がさがして、みんなで考えるという、ためになる授業がある。例えば、「ゴミ焼却場のそばに多い白血病の患者さん」、「原発の住民投票における地方自治」、「カップラーメンの着色料のおそろしさ」、「コンビニのおにぎり、お弁当、大丈夫?」というような、いろいろな問題を考え、話し合い、繰り広げる授業」(Iさん)

 「私が今までいい授業だと思ったのは、中学の英語です。その先生はギターを持ってきて、必ずはじめにメジャーな曲をみんなで歌います。覚えているのは、Stand by meやyesterdayなど、ビートルズが多かったと思います。このときになると、不良の人もはりきっていました。」(Uさん)

(3)担当者のコメント

 「皆さんも、いろいろと工夫された授業を受けてこられたのですね。毎時間、生徒の心に残る授業をするのは無理だと思いますが、1年間に1度でも、自分にとっても、生徒にとっても『ここで学んでいてよかったなあ』と思えるような授業を創り出していきたいですね。この授業だけは自信があるんだという、そういう一つの確かなものをもつことができれば、教師の人生が輝いてくるのではないかと思います。」



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