<教育方法コメント(1)>


第一回:テーマ【自己紹介】



 
(1)わたしのいいところ

 (まじめさ)
 ・「どんなことに対してもまじめに受けとめることです。困っている人がいたら、どうして困っているんだろう、力になれないかと本気で考えます。」
 ・「私の長所は責任感があり真面目な点だと思う。」
 ・「まじめなところがいいところでしょうか。程良くですけど。特にとりたてて良いところというのはないのですけど、良いところをたくさん仲間に見つけてもらいたいと思います。」

 (がんばれる)
 ・「忍耐力があるということだと思ってます。この忍耐は別にがまん強いだけと言うものではなく、目標やら何やらのために一生懸命がんばれるという事です。」
 ・「明るく、何事にも一生懸命努力していけるところ」
 ・「自分のいいと思うところは、一つのことが長続きするところです。…よく言えば、やりたいことは絶対にあきらめないこと、悪くいえばあきらめが悪いだけです。」

 (楽天家)
 ・「自分の性格ははっきりいってのんびりやの楽天主義者です。」
 ・「私は昔から明るさと物事を楽しい方向にすぐにもっていってしまう所があります。」

 (やさしさ)
 ・「人を思いやる優しさ」
 ・「本能的に子どもが好き(ロリコンじゃない)」

 (人と交われる)
 ・「人見知りせず、誰にでも親しみを持って接することができる。」
 ・「私のセールスポイントは偏見がないところです。全くないと言ったら嘘になってしまうかもしれませんが、自分が今迄出会った人との会話から考えてそう思いました。」
 ・「同性、異性、年上、年下関係なく、いきなりでも話をすることができる。そして、友達になることができる。」

 (頑固者)
 ・「自分はまだあまりはっきり自覚はしていないのですが、たぶん頭の固い人間だと思います。…何人か好きにはなれないと思う人もいます。…人間、必ず誰しもが良い所、悪い所があって、それを含めた上で付き合っていかなければならないので、大学在学中に出来るだけそれを直していこうと思います。」

 (柔軟性)
 ・「いろんな方向から考えることが好きなこと」

(2)教職をとった理由

 (やりがい派の人々)
 ・「子どものことを理解でき、かつその人独自の生き方をしている大人を、幼い頃から間近で見ている子どもはきっと自由に、大きく、夢をもって成長していけるのではないかと思います。…人間を相手にするというのは思い通りになることはほとんどないでしょうし、先が見えない部分もありますが、とてもやりがいのある仕事だと思ったからです。」

 (教えたいことがある派の人々)
 ・「私は商業教育の素晴らしさを知り、中学校までやってきた『進学のための学習』とはひと味違った学習の仕方・方法・素晴らしさを知りました。…商業教育だからこそ教えることのできること(具体的には自分の勉強の成果が目に見えた形で表れる検定試験)を私の後輩に教えていきたいと思いました。」
 ・「自分の大好きな野球を自分の高校の先生とは違った方法で教えたい、技術も楽しさも」
 ・「もし高校の教員になれれば、自分の高校のサッカー部の顧問になり、一緒にサッカーをしたい。それが教員になりたいと思った最大の理由であり、私の夢です。」

 (人間に興味がある派の人々)
 ・「教育に興味があるのは人間に興味があるからです。一人の人間が大人になるまでに家庭と同じくらい教育(学校)の影響が大きいと思ったからです。」

 (社会派の人々)
 ・「小、中、高と私が学校生活を送ってきたなかで、教育がこんなものでいいのか、社会がこのような動きでいいのかと思ったことが教職をとった一番の理由です。」
 ・「私が高校に通っていた頃にいじめにより自殺するというニュースが流れるようになった。しかも最近のいじめはとても悪質だと感じた。…自殺まで追い込む程、悪質ないじめや見て見ぬふりをする学校側、両親にさえ言えず死んでいった生徒、そしていじめた側、それらを考えた時、その原因の根本に学歴社会があるのではないかと思うようになった。…そう感じた時、自分の小中学校の思い出や経験を活かして、少しでも子どもたちの心にゆとりを与えて、希望を持たせてやれる、また子どもたちが色々な悩みを相談してくれるような、そういう教師に私はなりたいと思った。」

 (恩師との出会い派の人々)
 ・「私が教職課程をとったのは、これまでに恩師と呼べるような人達に出会い、この人達の生徒を第一に考え、一生懸命頑張っている姿にひかれるものがあったからだ。」
 ・「中学校時代の先生に一生懸命僕がわかるまで教えてくださった方がいたためです。そしてそのことが僕も先生になって勉強がわからないという生徒にも根気よく勉強を教えてあげたいと思う様になったきっかけです。」
 ・「私は小学校、中学校、高等学校といろいろな先生方に出会ってきました。時には嫌いな先生もいましたが、幸いにも良い先生方に恵まれました。特に、高等学校の3年生の時の先生は、生徒と同じように喜び、同じように悲しんでくれる先生でした。先生でありながら、友達のように感じれる。私もこういう先生になれたらいいなと思いました。」
 ・「先生になりたい理由として、一番のきっかけは高校の時に3年間お世話になった先生の人間性です。距離感なく会話することができ、いつの間にか父親として見るようになっていた。それほどまで包容力のある人で何でも話すことができた。叱られることもよくあったが、反論することすら忘れるくらい納得させられる不思議な性格の持ち主でした。」 ・「先生になりたいと思い始めたのは高校生の時だった。…その先生は先生というより僕たちに近い立場でいようとしていた先生だった。」
 ・「中学校での社会は先生が良かったということもあり、自分も先生になることにあこがれていました。」
 ・「僕にとって尊敬できる教師がいたからである。それは中学の時の社会の先生だが、その人がテストが悪いのは自分の教え方が悪いのも一理あると話された。私にとってそれはショックだった。それはその先生の教え方がうまいのにそういう発言をしたのだ。」

 (家族派の人々)
 ・「どうして自分が教職をとったかというと、それは家族にあります。まず自分の祖父は青森県の小学校の校長でした。そして父もまたそうです。そして父と会話をする時、たいてい学校の事が会話に出てきます。」

 (経験派の人々)
 ・「教師になろうと思った理由は、勉強のきらいな自分が色々受験やその他の頭の能力の差による教師の差別で悩んできたから、これからの子どもたちにはそういったことで傷ついたり、悩まないようにしてあげたいなと思ったので、教師になりたいと思いました。」
 ・「ある日、学校内で起きた喧嘩を仲裁したのをきっかけに喧嘩を止める立場の重要さを知りました。それからは中学校の先生の嫌な所や良い所が見えてきて、『もし俺だったらこう言うなあ』とか考え始め、教師になりたいと思いました。」

 (3) 担当者のコメント

 「日本の大学生は勉強しないとか、大学の講義なんか単位だけとれればいいと考えているとかいわれますが、一人ひとりの胸のうちは全然違うのですね。教師になろう、教職をとってみようと決意した人のなかには、これまでの教育を受けてきたなかで温めてきた思いがつまっているようです。いい出会いを経験した人も多く、皆さんのなかからあたらしい教育のかたちに挑戦していく人が育っていくにちがいないと、希望を与えられました。」


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