<生徒指導論アンケート(9)>


第九回:テーマ【北村年子さん:他者(ひと)と出会う】



 北村年子さんのワークについての感想

 (はじめに)
 北村年子さんの2回目のワークは、他者(ひと)と出会うというものでした。わたしも一人の学生として、ワークに参加して、とてもうれしい経験をしました。わたしは二人の人と出会いました。一人目は、Sくん。目を閉じてSくんのからだにふれたとき、そのたくましさとあたたかさにジーンときました。そして、わたしの手をさすってもらったとき、ふれるということのいやしのちからを感じたのです。そのあと、Mさんと見つめ合いました。気恥ずかしくて、わたしがしゃべっていたところ、北村さんから「しゃべってはいけません。しゃべるのも“おそれ”の現れですよ」と注意を受けました。ほんとうにその通りだと思いました。気を取り直して、“おそれ”の壁をのりこえて、Mさんの目を見つめると、とてもきらきらと輝いています。「ああ、美しい」と思いました。一人ひとりの美しさ、それを自分の“おそれ”の壁のために、見ないまま生きてきたのだとしたら、ほんとうにもったいないことだと思わざるを得ませんでした。


 (ぼくと出会ってくれた二人)

 「自分が目をつぶってパートナーを探している時、後ろから手をかけられた時、安心感というか、説明しにくいうれしい気分になりました。
 こうでなければと思ってしまう自分を否定したり、ほめたりしました。とても良い経験をしました。前回でなかったことを心から後悔して、今回来て良かったと思いました。もっとたくさん話が聞きたかったです。」(Sさん)

 「今、ねそべりながらこれを書いています。このスタジオはとてもいいです。
人の顔、とくに話したことのない年上の人の目を見て話すことはたいへんだと思った。手をにぎった時、私の手が上になって、相手の手によりかかっているというかんじで、今、何かにたよりたいという気持ちだったから、どういうかたちにしても、人によりかかることができてよかった。」(Mさん)

 (何としても伝えたいこの二人の出会い)

 「手をつないでもらえなかった。『いいです』と言われた私って一体…。優しく包んであげられる優しさが私にあればよかったのでしょうが。片ひざを立て、絶対に目を合わせない彼とどうしていいのかわからなかったというのが一番の感想です。少し流れに逆らって、私が話し、時々質問して、少しずつ話してもらうという感じでした。『こういうの好きじゃない』と言った彼に苦痛を強いてしまったかも知れません。私自身はかえっておちつけました。私はそんな自分に気づけたことはよかったと思います。でも、時間が長く感じました。」(Sさん)

 「自分が思っていることでも別の人にちがった言い方をされるとあらためて感じることがあったし、人の自分に対する見方がわかってよかった。でも、自分がどこかで人に見られることを恐れている。一対一の空気の中にいることにたえれないでいた自分が最終的にはその空気になじんでいたのはなんともいえぬ気分だった。この2週間は教員をはなれた人の外からの話をきき、いろいろな刺激をうけ、こういう考え方もあるという内にいては思いつかない意見をきけたことは、今後にプラスになると思うし、自分をもう一度見つめ直せる気がしました。」(Yさん)

 {コメント:Sさん、あなたの思いは、きちんとYさんの心に届いていましたよ。}

 (もう一人のひと)

 「不思議なことに目をつぶって出会った人は、私のことをとても多くの事について言いあててしまった。初めて会ったのに、何故かすぐに話ができた。何か人との出会いや縁というものを感じた。…北村先生の声は何故かとても私の気持ちをほっとさせてくれるもので、かつなつかしさを感じます。先週の授業を受けてから今日までの一週間、本当におだやかな気持ちで過ごすことができ、やることも全てうまくいく様な気がした。…たった2回しか教わることができなかったけれど、私の中では、とても大きな存在として記憶にあります。この気持ちは、きっとこれからの私の中でずっとずっと残っていることだと思います。もし、また東経大に来てもらえることができたら、絶対、もう一度聞きたいです。
 私も先生(この言い方はキライなんでしたっけ)のようなあたたかい影響を人に与えられる先生になりたい。ありがとうございました。とても良かった。本当はちょっとさびしいんだけどね。」(Hさん)

 {コメント:Hさんは、北村さんとほんとうに出会ったのですね。}