<生徒指導論アンケート(5)>


第五回:テーマ【ゲスト講師(第一弾)占部先生の講義を聴いて】



 1、前回のレポートについて

 前回は、現職の高校教師である占部慎一先生にお話をしていただきました。現場の臨場感と明快な分析は、さすがとうならされるものがありました。一緒に聴いていて、皆さんが次第に占部先生の話に引き込まれていく様子が伝わってきました。授業が終わって、皆さんの作品を一つひとつ読みながら、やはり生きた話に触発されると違うなあと感じました。ゲストが去って、また私の講義に戻ると、さてどうでしょうか。学校の有象無象をつめこんだ「生徒指導論」という大きな壁の前に、私は立ちすくんでしまいそうです。しかし、ここで大いに励まされたのが、S君の文章でした。「できないからこそやってみたい」生徒指導では、教師があらかじめできることをやるだけではなく、できないことに挑戦してみるということが大切であるように思います。もしかしたら、そのことだけが生徒に伝わるのかもしれない。同時に、できないことに挑戦することで、自分自身の成長があるのではないかと考えました。

 2、前回のレポートからいくつかの作品を紹介します。

 (1) 占部慎一先生(ゲスト講師)の講義から学んだこと

 「生徒を力(暴力、権力)で押さえつけようとしなかったのがとても大切なことだと思いました。言い方は悪いが、一般に問題児と言われる子どもを大人の勝手で切るのはとても簡単な事で、私の通っていた高校(私立)も“芽が出る前につむ”的な面が多く、何人も退学する生徒がいた。その子ども1人1人が現在にいる過程はそれぞれ違う。たまたまここに居合わせる。しかし、先生側はみんな同じ子どもだと思っている。その違いに目を向けたことはとても重要で、とても難しいことではないかと思う。1人1人違うわけだから、その接し方も違うわけで、じゅうなんに対処していかなければならない。心をつかむことの難しさ、そして心をつかんだ時の楽しさ、といっては子どもに失礼かもしれないが、そのことが人と接するうえでのだいごみではないか。そのことに気付いていない先生が多いのが今の教育の場で、しこうさくごしながら子どもの心をつかもうとしているのがこの講義というわけである。」(チャーリーさん)

 「今までの講義の話では、どこか理想論ばかりが論じられているようでぴんとこなかった。そして、自分は生徒にどう知識を伝達するかばかりを教師は教えているかと思っていたが、今日の話を聞いて、生徒とどう接していくかが大変なのだということがわかった。」(Hさん)

 「占部先生の話を聞いて、ナマの教育現場というものが伝わってきて、おもしろく聞けた。が、その反面、あまりにも自分の経験してきた高校生活と違って、いまいち現実感がもてなかった。それと同時に考えたことは、問題生徒がどういう存在が、ということを頭の中ではいちおう理解し、自分なりの“指導”といおうか、つき合い方を考えていたつもりであったが、それがもろくもくずれたように感じた。現実の社会はいくら頭では知っていて、理解しているつもりでいてもその通りには進まない。理論ではどうにもならない部分があることがわかったように思う。」(小多摩水香さん)

 「とりあえずおもしろかった。占部先生の話はとてもためになった。話を聞いていてTBSドラマ『スクール ウォーズ〜泣き虫先生の7年戦争〜』のようだなと思った。自分のイメージしている生徒指導とは少し違った感じがする。自分が教師になる時、非常に役に立つことの一つだと思った。自分も生徒指導という立場になるのだから、生徒達のことを考え、立ちなおらせる指導をしたい。」(Rさん)

 「占部先生の話を聞いて、自分は本当に共感できるところがあり、今の子供達のこともかなり正確にとらえていると思った。自分が高校のときは、周りに登校拒否の子や遊びに走って学校に来ない子、マニアやオタクの子、逆野球帽の子との付き合いがなかった、というよりむしろもとうとしなかったのが現実であった。高校生ならそれで済むが、もし将来自分が先生になったとき、こういった子と接するとき、受けもつときに、どうやったらいいのか不安です。」(Vさん)

 「生徒をしょぶんするというような生徒指導から、生徒を学校の財産と考える生徒指導をしたという話をきいて、ためになったところも数多くありました。」(Dさん)

 「今日の話を聞いて、教育というものがいかに難しく、その現場では大変な苦労があると改めて認識できるものであった。」(Zさん)

 「荒れている状況で、教師が管理統制的、あきらめ加減の人が多いのに、あまり周囲に流されず、生徒が『財産』であり、どんな生徒でもいろんな背景があって、多角的に見なければと通していらしたのはすごいと思います。教師自身の意識が弱いと、管理統制方向へ学校が進んでしまう。でも、ちゃんと生徒を見れば、1人の人であり、それぞれが独自の意識を持っていて、やはり学校はマニュアル通りで動かすべきではないのだと思いました。」(Lさん)

 「私が思うに、“不良だから”とか“言うことを聞かないから”という理由で彼らに対して強い態度を示すのではなく、どう受け入れられるかにかかっていると実感した。…占部先生が行ったいわゆる不良のサクセス・ストーリーを公にしたことは、その第一歩だったのではないでしょうか。」(Jさん)

 「『生徒指導とは夢も希望もないと思っている生徒に“夢も希望もある、誰しも可能性を持っているんだ”とわからせればよい。ただそれが難しい。』とおっしゃっていたのが、とても心に残りました。」(Uさん)

 「まず最初に感じた事は占部先生は教育に対してとても研究熱心な事である。生徒の側から立った見方を持つとともにかつ冷静な教師からみた生徒の分析も行っていた。そして、指導研究のために御自分で実際に歩いて、登校拒否、その他もろもろの問題を抱えていた、もしくはいる生徒だった人達にレポートしに行くなど、やはり色々と動かないとと思わせる部分もあった。」(T.Kさん)

 「今日の話はとても自分にとり新しい発見が多かった。自分は普通科だったのでそれ以外の学校については実体みたいなものはあまり知らなかったので興味深かった。内容はとても驚かされるものだったが、その一方で生徒と向き合う先生に共感をもった。生徒の心の底にある悩み、訴えを分析し、そしてそれらを少しずつ理解し、表に解放させる手助けをしたことに脱帽する。
 あと、あの場で質問すればよかったのですが、実践で行われたストーリーはどういった形式の授業で生徒に語りかけたのだろう。(書いたとか話されてましたけど、プリントなどではそれ自体読まない人もいたのでは)どういった授業で生徒からの反応を聞くことができたのだろうか。」(Fさん)

 →占部先生の代わって高井良がわかる範囲で答えます。授業時間を使って、教師が読み聞かせるという形式で、ストーリーを語ったようです。それもいつストーリーを語るとかあらかじめ決めておくのではなく、授業で生徒とトラブルがあったり、授業に生徒が乗ってこなかったりしたときに、臨機応変に語ったようです。もちろん、そのために前もってストーリーは準備されています。また、生徒からの反応は、授業が終わったあとで占部先生を取り囲む形で、個別に返ってきたようです。

 (2) 占部先生の講義を聞いて、改めて問い直した自分の生き方

 「遊びで結びついている人、団結が早い・結束力のある人の説明があったが、説明中に思ったのだが、私もあたりさわりがないようにやっていたタイプではなかったか。だが、高校を卒業してから、大学に入るまでの2年間共同生活を送りながら、自分がどう人から見られているのか、また、自分はどうしたいのかを考えていた。(もちろん、学力も)いまだにその答えは出ていないが、早く大人になりたい、というのが今の願望。これは早く経済的に自立したいということだ。」(ATMさん)

 「正直に言って高校まで自分は功利性(逆野球帽)だったような気がする。それが浪人することになって、その予備校での本科生ではなく、単科生(自分のクラスがなく好きな科目だけとる)になり、人と接することがほとんどなくなり、周りがよく見えるようになった。逆野球帽でいることで自分にプラスになることはないと思った。しかし、逆野球帽でいることでのプラス面があるのかもしれないと思う。自分が考えるには、ラップと学生服を持つ人が好ましいと思う。自分がそうなれないにしても、そういう友人がほしいと思う。友人との団結を大事にしつつ、ものごとにマニアでいることを自分は大切にしたい。」(Mさん)

 「あらためて思ったことは、押しつける教育から生まれるものは何もないということです。押しつけることが教師にとっては最も簡単な生徒指導法ではあると思うけど、それではもう何もうまれてこないことが今日の授業ではっきりしました。…やはり自分は逆野球帽であるということです。今もこの授業には毎回出席しているけれど、本当に教員を目指しているかといえば一つのコースとしてしか考えていなかったし、大学についても大卒という印がほしかっただけというのも事実で毎日をただなんとなくすごしていました。今日の話をきいたことは本当にプラスになり、今後の生活に新たな展望がひらけたような気がします。」(Xさん)

 「実際、自分が教師としてその場に立てるか自信が持てない。そのはんめんできないからこそやってみたい部分もあるような気がした。」(Pさん)

 「生徒指導とは何かがよく分からない。先生が生徒を指導するものだと考えていたが、占部先生の話を聞くと、決してそのようなものではないことが分かる。“指導”が必要なのではなく、“話し合い”または話し合わなくても意見を伝える場であると思う。
 学校には多くの生徒がいるのだから、様々な人がいてよいと思うし、そうでなければおかしい。その接点が先生でなければならないのだと思う。指導ということではなく、人と人との触れ合い、接し合いなのではないか。
 色々な人の考え方、生き方を知るのは大切なことだと思う。そこから自分の考え方も発生するのではなかろうか。」(Aさん)

 (3) 占部先生の講義と現在の学校についてのいくつかの疑問

 「占部先生の話を聞いていて感じたことだが、今まで僕の経験した高校生活と比べてみて、その環境に大きな隔絶を感じた。何だか別の世界の出来事を聞いているようだった。」(Eさん)

 「先生の就任してから、工業高校の生徒に対する指導の話はいつ頃の話なのだろうか。実際、聞きたかった話は、今現在の高校生の実態とどの様に先生は接し、学校内の先生同士のつながりなど、いまの話を沢山話して欲しかった。先生の生徒に対する接し方や考え方にはとても好感がもてた。」(はみ出し ばくばつ さん)

 「大変興味のある話だと思います。教育実習の時にも役立つ話だと思います。半面、話の中で(特に生徒を特徴別にわける事について)疑問も多く感じました。わける事によってどういう意味があるのか理解できません。それは教育といういとなみの中でどう影響するのか、生徒を理解する上でプラスになる事があるのでしょうか。逆に固まった形にする事で生徒を固定観念で見るという事はないでしょうか?」(Kさん)