<生徒指導論アンケート(4)>


第四回:テーマ【問題生徒とは何か】



 1、前回のレポートについて


 前回は、問題生徒とは何かというテーマでレポートを書いてもらいました。しかし、このテーマをゆるく設定したこともあり、その周辺のところで皆さんのさまざまな意見を垣間みることができました。新しい教室に変わり、それについての耳を傾けなくてならない意見もありました。新しい教室を生かすことは、私の責任だと考えていますので、これから私は中心的なテーマをしっかりと提供し、あとは皆さんの意見と対話を引き出していきたいと思っています。試行錯誤の歩みにつき合わせてしまって申し訳ないと思いつつ、試行錯誤こそが「生徒指導」の本質ではないかとふと考えます。

 2、前回のレポートからいくつかの作品を紹介します。

 (1) 前回配布した伊藤先生の初期の実践についての作品

 「男子1500m走はどこの学校でも決まりづらいものなのかと思った。…一つまずいのはコメントだ。『陸上部をやめて、ゆとりができるようになったよね』これが非常に生徒のプライドを傷つけているのではないか。私もAさんと同じく体がついていかず、1学期に退部した。続けたかったのにやむを得なく退部した、という場合も十分考えられるからだ。」(M&Bさん)

 「私がずっと思っていたことで、今日の文章で特に感じたのは、なぜ先生が生徒と横並びになろうとするのだろうかということである。先生に権威があった金八先生時代なら、その活動は評価されたのではないかと思うが、今の頼りのない先生達ではこの考えは、『なめられる』ということにつながるような気がする。私はすでに三百人近い生徒と接してきて、『怒ってくれた方が自分のことを考えてくれている』と言っている生徒に気づいている。いろいろ許してくれるやさしい先生は、生徒にとっては楽な先生ではあっても、自分のことを考えてくれる人ではないのではないだろうか。」(Hさん)

 (2) 占部先生の「ラップ」「学生服」「逆野球帽」についての作品

 「今日の講義で話していた占部先生の分け方によるラップ型、学生服型、逆野球帽型で、自分は中学生の時は学生服型で、高校の時は学生服と逆野球帽をいったりきたりしていたと思います。そして、先生がおっしゃっていたように、問題のある生徒は学校での自分の物語作りができていないというのは、自分の個性を発見し続けながら自分が何をしている時が充実して生きがいを得ることができるのかをうまく見出すことができていない状態なのだと思います。何も外に対して反抗という形で表現する人だけでなく、むしろ反抗できずにくすぶっている人達は意外と多いのではないかと思います。
 僕自身も特に中学生の時は部活をやめたことによる1つの生きがいを失い、そのまま受験戦争にまきこまれて、なぜ高校へいかなくてはならないのか、このまま全員いっしょに高校生になれればいいのにという思いの中で、高校へ入学しました。幸い高校では部活動に生きがいを見つけながらも、でも自分自身を思うように発揮しきれなかった3年間でした。」(Jさん)

 (3) 問題生徒とは何かについての作品

 「私の意見としては“問題生徒”は教師と学校の立場から見て、そう決められてしまった人だと思います。少し前まで学校という社会の法則に従えない、教師の権力内から離脱する、そのような人を言っていたように思えます。…ただ現在は“問題生徒”は、ある人の意見によれば、内在していて表に出てこない場合があります。占部先生指摘の逆野球帽型もそうですが、学生服型の生徒も“問題生徒”の一面を持つようになっているのではないでしょうか。」(Gさん)

 「今まで問題の生徒とは暴力をふるったりするいわゆる不良と呼ばれる生徒達であった。そんな生徒達に対して、学校側は中には熱心に指導していく教師もいたが、一般的に校則に違反したと処罰するだけであったと思う。
 そして、現在は問題の生徒は多様化している。昔のような不良と呼ばれる生徒もいるが、その他に登校拒否、保健室登校、さらに神戸の中学生の事件のように、前にのべた3タイプのどれにもあてはまらないような生徒までが出てきている。」(Nさん)

 「『問題生徒』とは、教師に脅威を与える存在かなと思う。」(Rさん)

 「私が思う問題生徒とは学校という規制の枠にはみ出した子供ではないかと思う。だが、見方を変えれば、決してその子供は問題生徒ではなく、社会の見方として、その学校のシステムにあてはまらない、教師や学校側から見て、思いどおりにいかないと判断されている子供のことをいうのではないか。」(Tさん)

 「私が考えるに問題児とは『集団の和』を乱す人物だと思う。先生と合わないと直接ではなく間接的に心の中身をさらけ出す生徒だと思う。(車を傷付けるetc.)」(ヤクルト日本一!さん)

 「これからおそらく問題児とされる生徒は、あくまでも表面的には教師の言うことを聞くが、学校を離れたら、自分の規制をはずし、秩序のない世界へと自分を解放するという非常に複雑な生徒になるのではないかと思う。」(SSCさん)

 「問題のある子というのは今の社会や学校のわくぐみの中から自分の“出番”をあたえられていない子ではないだろうか。」(Kさん)

 「私の中で問題であろうと思うのは『自己』のない人達の方であると思う。自己がないとゆらゆら社会にゆられるだけで、社会の変化に対して悪い方へかわった場合もそっちへながれ、それに対して問題意識を抱けなくなってしまう。それでは社会は成り立っていかないように思う。」(Bさん)

 「問題生徒といっても反抗することにエネルギーを使い、自分の存在をアピールしているのであって、学校や組織に協調性がないだけでそのような扱いを受けたら、逆にそのエネルギーは逆の方にしか向かないと思う。」(Vさん)

 「僕は今日の文を読んで、問題生徒のいる学校は活発でいいなと思った。問題生徒がいれば、その分事件も起こるし、生徒の中にも動きがある。」(Wさん)

 (4) 教室変更についての作品

 「はっきり言って1週間で自分が取っている授業の中で1、2番目にためになり、けっこう楽しみにしていた授業の一つであったが、今日の教室変更で1番出たくない授業に一変した。…本当にこの授業と先生の勝手な都合に腹が立った。今まで生徒とどうむきあってきたのか疑問に感じた。一度信らいを失ったものはもうどうにもならない」(Qさん)

 「はっきり言ってこういう授業の形は嫌いだけれど、先生のやり方だから仕方ないかなと思いました。(最初は出るのはやめようかと思ったのですけど)」(Cさん)

 「今日のような試みはとても重要なことだと思う。上の教室できゅうくつな講義を続けるよりは良かったと思う。…今日のような場合、私は黙りこむのが普通である。そのからをとり除く、距離をつめることが私の新たなテーマである。だから、私はいぜん無口なままかもしれないが、このスタイルを続けていってほしいと思う。」(チャーリーさん)

 「そもそも地下の教室にいくのも初めてだし、こういう場所で授業ができて、とても新鮮な気持ちです。そして、同じ目標をもっている人たちと同じ議題について話をすることができてよかった。」(Pさん)