質問1:あなたはこの事件を複雑かつ特殊な問題を抱えた容疑者による特殊な事件であると考えますか、それとも現在の社会や学校のシステムのなかではあるいは自分も容疑者になりかねないというような一般性をもつ事件であると考えますか。次の3つの選択肢のなかから最も自分の考えに近いものを選び、その番号に○をつけて下さい。
1、特殊な事件であると考える
2、一般性をもつ事件であると考える
3、わからない
(1)「特殊な事件であると考える」を選んだ人 → 7名 (2)「一般性をもつ事件であると考える」を選んだ人 →27名 (3)「わからない」を選んだ人 →15名
集計結果についての私のコメント:私の予想以上に(2)と(3)を選んだ人が多かった。とくに(3)を選んだ人のなかには、マスコミの情報に対する慎重な姿勢がうかがえた。(2)を選んだ人のなかでも、自分自身の経験から結論を導き出した人と、現在の社会システムの分析から結論を導きだした人がおり、多様性が感じられた。(1)を選んだ人は正直な人柄がしのばれた。どの選択肢を選んだ人でも、傍観者的な評論や強引な断定をした人はみあたらず、学生の皆さんの丁寧かつ誠実な論評が印象的だった。
質問2:上で答えた理由について、自分なりの見解を論じて下さい。(短くても結構です)
いくつかの作品を選んで紹介します。
a) (1)を選択した人の中から
「一般的に考えると、中学生のやることではない。今日のニュースで見たのだが、彼は精神かんていで異常ということが判明したそうだ。私が考えるに、彼の周りの人間達に人間らしい悩みや夢などが言えなかったんだろうと思う。
巨大な不安やよっきゅうが爆発したために、彼は自分より弱い者である人間を殺したり、攻撃したのではないだろうか。もう一つは、両親の彼に対するしつけである。この家庭は、放任主義的な家庭だったのかもしれないが、親と子の最低のコミュニケーションであると私が思う会話はどのようなものだったのだろう。学校での先生と生徒の関係よりも親と子の関係が大切なのではないだろうか。社会や学校よりも家族の一人一人が家庭(彼=犯人)を守らなくてはいけなかったのではないかと考える。」(LARKさんの作品)
「私は特殊な事件だと思う。まず人を殺すという行為は人間の正常な行為ではない。普通の人なら人間一人を地上から消し去ることの重要性が分かるはずだ。自分が殺した人間の肉親や友人の悲しみが分かるはずだ。殺人者の肉親として世間から弾き出される親や兄弟の悲しみがわかるはずだ。
ただこの事件に一般性があるところは神の名の下で自己の行為を正当化するという日本人の好きな大義名分をこの少年がふん飾しているところだろう。」(Gさんの作品)
b-1) (2)を選択した人の中から(自分の経験から導いた人)
「私は中学の時、体が小さかったせいか休み時間に柔道の技の練習台にされたり、高校で“使い走り”にされたことなどがあった。私はこれを“いじめ”とは考えなかったし、考えたくなかった。今日の家庭や学校には会話がないと言われるが、実際問題そのような事がおきても、親や先生には絶対に言えないという状況がある。くだらない会話でもあれば気持ちがほぐれるかもしれないが、“また明日は学校”なのである。だから学校に行って来ると、体よりも何かどこかが疲れているのである。
前々回の『朝まで生テレビ』でこの問題について問われていたが、学校ストレスというものが確実にだれでもあるのは確かだと思う。私たちの時にもそれらが皆んなあったのだが、普通に時は過ぎていた。今になって何故ストレスが爆発したのかはわからないが、世代の関係もあるのではないかと考える。私の経験からみると、一つ上の先輩と一つ下の後輩がひどいのである。私は高校の教師を目指しているが、今問題の“14歳”の世代が私の教える世代となるため少し不安を抱えている。」(ヤクルト応援団さんの作品)
「テレビや新聞、週刊誌で報じられているのを見聞きし、初めはすごく特殊な事件だと思った。それは『14歳という子どもがあんな残酷なことをするなんて』と感じたからだ。しかし、自分自身『人を殺してみたい』と思ったことがない訳ではない。特定の誰かというのではなく、例えば『刃物で刺すという感覚』『どのくらいの距離から銃を打つと弾は貫通するのか』などといった疑問や興味による。ドラマやニュースで得た知識を実際確かめてみたいという気持ちがある。
人それぞれ思う度合いは違うと思うが、一度は多くの人が感じるんじゃないかと思う。その中で、“酒鬼薔薇”少年は、他の人より強く感じ、興味が傾き過ぎ、そして、ほとんどの人が『やってはいけない』と自分を制御する力を、『試してみたい』気持ちが上まわってしまったのだと思う。一般的に考えられる14歳の知識を超えていたのだろう。彼を止めてくれる人もいなかった。様々な要因が重なった(そういう意味では特殊なのだろうが)だけで、これからもありえる事件だと思う。」(逢稀小鼓音さんの作品)
b-2) (2)を選択した人の中から(社会や学校の状況から導いた人)
「僕は、この事件は一般性をもつ事件であると考えます。その理由としては、この事件において私は幼少期の環境が影響を及ぼすと考えるからです。事件の報道によると少年は小さい頃からホラー映画をみたりしていたということですが、幼少期の何でも取り入れやすい時期にその様なものをみればこの様な事件が起こりうる。そして、一般性を持つ事件だと考えられます。そして僕としてはこの様な事件をなくすには、ホラー映画や過げきなマンガに何らかの制限(年齢制限)などをすべきと考えます。幼少期にこの様な環境があるとすれば一般性をもつ事件と考えます。ちなみに僕ら幼少期にはここまで過げきな映画、マンガはありませんでした。」(Tさんの作品)
「この事件が最近起こっている事件の中で極めて残酷で異常な事件であると思う。しかし、他の若者が起こした事件でも犯行理由が『むしゃくしゃしたから』といった理由だけで人を刺したり、なぐったりしている。このような事件を見るといつも思うことだが、なぐられたら痛いってことをこの人達はわかっているのかなと思う。誰だってなぐられれば痛いのだ。そんなあたりまえのこともわからなくなっている。しかし、このような子どもたちが増えてしまったのは、親たち、大人たちに原因があるのではないだろうか。勉強さえしていれば子どもに対して無関心な親たちが増えているのではないか。子どもたちのうっぷんは少しずつ蓄積され、今になって爆発しはじめたのではないかと思う。このような社会がずっと続くようであれば、このような事件があたりまえのように起こる時代がきてしまうような気がする。」(たまごのひよこさんの作品)
「誰でも時と場合を問わず容疑者になりうるかもしれないことを考えると、一般性をもつ事件といえるかもしれない。この事件以上の事が起きる可能性だってある。それを考えた場合、この事件の責任の一端をしっかり追求しなければならない。責任を教育(学校)に押しつけるのは無責任なやり方で、子供に『学校に来なくていい』と言った先生も、そういう状況に追いこまれていたのかもしれない。様々な要因が重なって起こった事件だが、可能性としては低くないだろう。だから、この事件は特別なこととして扱わず、考えなくてはならないだろう。小学校5年で“生”に興味をもった少年に話し合える場、相手がいなかったことに問題があると思う。」(チャーリーさんの作品)
「人間の人格は遺伝と環境によって形成されていくと心理学の授業で教わりました。環境(社会)が人格に及ぼす影響は大きいと思います。酒鬼薔薇少年は、小学校の時、いじめを受けていたクラスメートを助け、その後、自分がいじめのターゲットにされた事があると雑誌が何かで読みました。これが本当であるとしたら、この少年はいじめられっ子を助けてあげる優しい心と勇気のある少年であった事になります。
私は学校だけのせいでなく親だけのせいでなくその両方と社会全体のせいであると思います。」(Pさんの作品)
c) (3)を選択した人の中から
「この事件は、現在の社会や学校のシステムのなかで、自分もふくめて誰もが容疑者になりかねない、そんな一般性をもつものだと思う。しかし、容疑者は今の日本の法律をしって計画的に殺したというほうどうを耳にしたとき、この少年の特殊なものをかんじた この事件は教育についても、少年法についても、大きな問題をなげかけたとおもう。しかし、今の自分の少ないちしきや、あさはかな考えで何もかたることはできないし、かたってはいけないと思っている。」(Fさんの作品)
「酒鬼薔薇聖斗事件については特殊でもあり、一般性をもつ事件でもあると思います。ただ、それが本当に特定したいとは思いません。私からやや上の以上の世代はたいていの人は特殊だと思うはずです。メディアの過熱ぶり、私の周囲の大人を見ているとそう感じます。一方で、私から下の世代、特に中学、高校生は特殊なことと思っているのでしょうか。最近、日本の社会は成熟して来たと言われていますが、逆に未来、将来について希望を持てない人が多くなっているように見えます。自分の生きて来た道でさえ、学校教育を例にとって否定的に話す人・識者の声は大きくなっています。そうでない人もいますが、社会が何か生きていくということについて、押し込めるような仕組を持っているのではないでしょうか。
最近、新聞に知育偏重、表現力の低下という小学生の調査が載っていました。酒鬼薔薇聖斗という人物にしてもそうですが、この表現力の部族、学校、社会の形が聖斗に対してこのような事件に持っていくようなベクトルがあって、この事件は発生したのではないかと思います。
また表現力の不足と自己主張の無さは私にもあります。いじめられる時、訴えるということはありませんし、いじめに反発しても周りの人全員に押しつけられ、反発心を無くした経験があります。この酒鬼薔薇聖斗という人物がまたは子供が反発心を無くし、自分を精一杯表現しようとして出たのが、動物を殺し、そして人を傷つけ、殺人という形になったのだと思います。このような事件を起こす可能性は誰もが秘めていると思います。一方で、押し込められた人々がそのまま過ぎるのを待っているような場合も多いです。(以下、略)」(Vさんの作品)
「この酒鬼薔薇聖斗事件は、報道によると、彼の祖母の死を機に、死ということについて考えだしたと言われている。この死について考えるのは、この機会に違いがあるとはいえ、僕も含めた誰もが考えることえあると思う。例えば、幼い頃、天国と地獄の話を聞いたことがあった。その夜は、幼いながらにこの2つの世界について考えたこともあった。また、夜寝る前にこのまま目を閉じたら死んでしまうのではないかと考えたこともあった。そして、死後の自分の姿や状況を考えたことがある。今考えると、それは決して興味を持ち、考えた訳ではない。死ということに対する恐怖だったと思う。
しかし、彼の場合は、死というものを儀式であると考え、自分の内に信仰すべき神を置き、その神の名のもとに実験としてあのような事件を起こしたのだと思う。しかし、現存の社会は、それを教育のひずみや彼自身が異常であると考えている。僕自身もその一人かもしれない。もちろん、殺された少年にも同情もある。しかし、僕が考えているのは、その死というものを自分の中でどのようにうけとめるのかの違いである。僕は今、死というものを悲しいものだとか、寿命の終わりであると考えているが、これを自分もまた、田の人々も儀式だととってしまったら、もしかした同じような行動をしたかもしれないと考えると、この事件は僕にとってはわかりにくいものとなっている。」(Bさんの作品)
「現在の社会では色々な情報が伝わるのも早く、良し悪しが関係なく耳に入ってくる。その中で生きていく上で、人をキズ付けたり、キズ付けられることもあるが、人を死においこむのは最低だと思う。この事件について『やりかねない』と答える人もいたが、何のつみもない人であり、かつ自分より弱い立場の人へ走ることは絶対許せない。また、人だけでなく動物なども殺していたというし、同じクラスの子や知っている人が『あいつならやりかねない』ということまで分かっているのに、誰も止めることができなかったことは残念である。
この子が起こした行動は絶対にあってはならないことだが、この子をおいつめた何かを分かってあげられないことについては、親をはじめとして回りのせいでもある。分かってあげられる所、あげられない所もあり、これが死まで結びつくと、私の選ぶ番号は分からないという意見になってしまう。」(Wさんの作品)