『我々はなぜ戦争をしたのか』
東大作(岩波書店、2000)
「米国・ベトナム 敵との対話」という副題をもつこの本は、ベトナム戦争を当事者として戦った両国の指導者が一堂に会し、歴史的な対話を行ったときの記録である。著者の東大作氏は、1969年生まれの新進気鋭のNHKディレクターであり、同タイトルで『NHKスペシャル』も放映されている。本書のはじめにでは次のような著者の問題意識が記されている。
「「ベトナム戦争で死闘を繰り広げたかつての戦争指導者たちが、あの戦争を未然に回避、もしくはもっと早く終結させることはできなかったのか、敵と向かい合って対話を行っている。二〇世紀の人類の悲劇を二一世紀に繰り返さないためにどうしたらよいかを共に探るために」この事実を知って以来、私はこの「敵」同士の対話に夢中になり、ベトナム戦争当時の指導者の取材にのめりこみました。…アメリカという超大国が、ベトナムという小国に軍事介入することで泥沼の戦いとなったベトナム戦争の双方の当事者が、一体いま何を「敵」に向かって語り、その内容は二一世紀を迎える私たちにどんなメッセージを発しているのか。そんなテーマの重みと時代性が、私たちをこの対話を基にした番組制作に駆り立てた最大の原因だったと思います。」
アメリカの元国防長官であったマクナマラ氏は、1995年『回想録−ベトナムの悲劇と教訓』を出版し、そこで、ベトナム戦争がアメリカの犯した過ちだったことを認めた。この回想録は、全米に大きな論争を巻き起こしたという。この回想録で第一歩を踏み出したマクマナラ氏は、ベトナム側の指導者との対話を求めた。そして、1997年6月にベトナム・ハノイのメトロポール・ホテルにおいて歴史的な対話が実現したのである。300万人以上の人命が奪われたベトナム戦争の傷跡は、もはや取り返しのつかないものである。今もなお、アメリカ軍の枯葉作戦により、戦争の後遺症に苦しんでいる人々が残る。アメリカ兵もまた戦争の後遺症に苦しんでいる。しかしながら、対話を行うことで、これからの過ちを防ぐことができる。それがマクナマラ氏の決断を支えたものであったはずだ。
対話を通して、両国が互いに危機感と誤解の中にあったことが明らかになっていく。南ベトナムにアメリカ軍が進駐する事態に直面した北ベトナムがはもちろんのこと、アメリカもまた、中ソを一枚岩と見なし、ベトナムで社会主義革命が起こることが東南アジアの共産化につながるというドミノ理論を信奉していた。そして、危機感による被害妄想と相手陣営への猜疑心から、歯止めのない軍事行動に走るのである。
だが、対話ははじまりでこそあれ、両者の間に横たわる溝は、簡単に埋められるものではなかった。和平交渉を求めながらも北爆を続けた(北爆という脅しをかけながら和平交渉を要求した)アメリカに対して、北ベトナム政府は交渉に応じることはなかった。これに対して、マクナマラ氏は「ベトナムの指導者は、ベトナムの年間一〇〇万人と言われる犠牲に関心がなかったのではないか。だから和平交渉に入らなかったのではないか」と語っている。だが、年間一〇〇万人のベトナム人を殺戮したのはアメリカ軍であり、その司令官はマクナマラ氏その人であるのだ。アメリカ国内では共産党員とののしられながらも対話への第一歩を踏み出したマクナマラ氏でさえ、自分が差し出した左手しか見えず、その向こうにある振りかざした右手の拳骨を見ることができないのだ。相手の痛みをわかるというのは、何と難しいことなのだろう。
北ベトナム外務省米政策局長だったチャン・クアン・コ氏は、「私は、ベトナム戦争から何を学ぶべきかを振り返る時、常に一つの信念に基づいて考えるようにしています。それは、戦争を始めた後に終わらせようと努力するよりも、まず戦争を回避するための努力をすべきだということです。戦争は、長引けば長引くほど終結させるのが難しくなります。」と語っている。そして、大国に対して「自信過剰になるな。傲慢になるな。あなたの信念を他国にも話し、正しいかどうかを検証せよ」と警告を発している。大国の傲慢さと無知。強者の弱者に対する見下した構え。これらが戦争という悲劇の源泉にあることをこの本は教えてくれる。