『近代の光芒−国民国家の原風景−』
五十嵐一郎(日本評論社、2000)
歴史上のさまざまな事象の細かいヒダを丁寧になぞるということと、一つの筋の通ったものの見方を鍛えていくということは、両立されることがきわめて難しい知的営為である。とくに、対象が「世界史」といった茫漠たるものになれば、2つのことを両立させるどころか、どちらも中途半端にならざるを得ないというのが、一般的なことではないだろうか。さて、この『近代の光芒』は、19世紀から20世紀初頭の第一次世界大戦までのヨーロッパを主な舞台として、丁寧で厚い叙述に支えられながら、国民国家論という一つのものの見方をわかりやすく提示してくれた驚くべき本である。パスポートの起源、石鹸から見える世界、コーヒーと資本主義など、一つひとつのテーマは具体的であり、読んでいて面白いと同時に、これらのエピソードから近代化の光と影が映し出される。
あとがきには、「本書の原型は、筆者が埼玉県立浦和第一女子高等学校に勤務していた一九九六〜七年当時に、世界史の授業で作成した資料にあります。イギリス産業革命によって工場で働くようになった労働者はどのように暮らしたのか、教科書の記述のみでは不明なこの点について説明を加えてみたのが最初の試みでした。…彼女たちが興味をもってくれたことに励まされて、次々とテーマが浮かび上がり、書き継ぐことができました。まずなによりも本書は現在大学生の彼女たちの目の輝きに触発されて出来上がったといえます。…」と記されている。このような授業を受けることができた高校生たちは、なんと幸せだったことだろう。一つひとつのテーマが、筆者の問いであり、そしてそれがしっかりと咀嚼されているので、読み手にそのおもしろさが伝わってくる。圧倒的な教養に支えられているので、ある考え方を押しつけるというようなところがない。記述がゆったりとして、それでいてキレがあるのだ。
一次資料から研究論文を組み立てていく、研究者のオリジナリティに対して、最新の研究の成果を引用しつつ、手作りの授業を組み立てていく、教師のオリジナリティ、著者性の大切さは、もっともっと強調され、認められていく必要があるだろう。「目の輝き」を生むような授業は、こうした教師たちの地道な営みによって支えられているのだから。