『透明な存在の不透明な悪意』
宮台真司(春秋社、1997)
生徒指導論という教職科目の第一回目を酒鬼薔薇聖斗事件の話から始めることにして3年目になる。しかしながら、何度試みても、思ったように話ができなくて、気持ちの悪い疲れが自分のなかに残ってしまう。これはなぜだろうか。酒鬼薔薇聖斗に自分自身の姿を見つつ、その話をネタとして今自分がメシを食っているということへの罪悪感が、自分にブーメランのように跳ね返ってくるからであろうか。社会学者・宮台真司の『透明な存在の不透明な悪意』は、この酒鬼薔薇聖斗事件から私たちの生きている日常の虚構を読みひらいたものである。専業主婦の問題、ニュータウンの問題、中学校の問題など、宮台真司がここで論じていることのかなりの部分に私は賛同する。ただ、中学時代の私があまりにも酒鬼薔薇少年に重なるので、距離をもって見つめることが難しいのである。誰からも理解されずに、夜一人で徘徊することだけが心の癒しだった時期。自分自身の神をもち、それだけが心の支えだった時期。ただひたすら、私が生まれた場所がニュータウンではなく、山と川のある町だったことが幸いだった。酒鬼薔薇少年は、さまざまなことが重なり、取り返しのつかない犯罪の方向へ歩んでいった。責任をとれる人間に育つ前に、責任をとれない犯罪を犯してしまう。これは不幸なことだ。決して少年法を改正して救える問題ではない。