『地の底の笑い話』

上野英信(岩波新書、1967/1998復刻)



 炭坑の人々のくらしを見つめた作家のなかでも、上野英信の温かいまなざしと鋭い洞察は卓抜といえる。そして、今年、ずっと待ち望んでいた『地の底の笑い話』が復刻された。本書の前書きから引用しよう。
 「地の底で働くひとびとの笑い話をともしびとして、日本の労働者の深い暗い意識の坑道をさぐってみたいというのが、このささやかな仕事にこめた、わたしのおこがましい願望である。…我が国の石炭産業の労働者が、いわゆるエネルギー革命によってどのように壊滅的な打撃を受け、いかに悲惨な状態に追いこめられているかということについては、いまさら説明の必要もないだろう。幼いころから筑豊炭田のあらあらしい脉動をききながら育ち、敗戦後は幾つかのヤマで働き、生涯を炭鉱労働者とともに生きたいと願ってきた人間の一人として、これほどたえがたい痛恨はない。なにかをしなければならぬ。だが、いったいなにをすればよいのか。一介の非力な文学の徒にすぎないわたしにできる、なにがあるのだろうか。そんな絶望的な焦燥にかられているとき、ふっとわたしの心によみがえったのが笑い話であった。ボタ山のふもとの納屋生活のあけくれ、あるいはまた、一秒後の生命の保証もない坑内労働のあいまあいま、おりにふれて老坑夫たちの語ってくれた、古い、なつかしい笑い話であった。…」
 現場に徹し、現場から学んだ上野英信のしごとがここにある。時代の流れにうずもれゆく地底の微かな声を拾い集めた上野英信は、わたしの心の師匠の一人である。