『追われゆく坑夫たち』

上野英信(岩波同時代ライブラリー、1994)(初版は1960)



 この本のページで取り上げる上野英信の著書は2冊目になる。1960年、日本列島が東の安保、西の三池争議で盛り上がっていたとき、上野は筑豊の見捨てられた小さなヤマ(炭坑)を歩いたルポルタージュを世に問うた。資本主義対社会主義の対決といった大風呂敷を広げた言説ではなく、圧制の小ヤマで見捨てられた人々の生活現実に密着した言葉を紡ぎ出そうという上野の覚悟のほどがうかがえる。
 本書の内容は今では想像もつかないほど苛酷である。以下にその一部を引用しよう。
 「恐るべき体力の消耗をともなう地下労働者である彼らは、血を売るどころではないのだ。まして賃金もなければ食物もなく、ほとんど餓死寸前ともいうべき状態で働かされている彼らに、血を売る余力などあろうはずもない。…しかし、血を金にかえる意外にみちをもたない彼らは、水をのんでは空腹をおさえおさえ、よろめく足をふみしめながら福岡市〔約60qの道のり〕までも売りにでかける」
 中小のヤマで働く人々の生活は、地底でもまた地上でも日々死と背中合わせであった。上野のルポルタージュは、地底で働く人々とその家族の悲惨な生活を描きつつも、その視線は温かい。社会システムへの告発というよりもむしろ人間存在の罪深さへの呪詛とそこにかすかに輝く希望への祈りのようである。上野は炭坑文学に入っていった自分について次のように語っている。
 「文学のしごとは、ぼくにとっては、はたらくなかまたちに対する、つきることのない感謝と献身のちかい以外のなにものでもありません。…はたらくなかまたちによって、ぼくは、はじめて生きることのよろこびをしり、あなたがたをとおして、ぼくは人間のとうとさと美しさをしることができたのです」
 上野は炭坑に働く人々を文章として刻み込むことによって、彼の使命を全うした。今を生きるわたしたちの使命は一体どこにあるのだろうか。これを考え抜くことが上野に倣うことになるに違いない。地底の闇は今もなおどこかにあるのだ。いや闇が地底から這い出して、社会全体を覆いつつあるのかもしれない。