『「老い」と暮らす』
安田陸男(岩波書店、1998)
なんと心にしみいる本だろう。長らく新聞記者をつとめた著者は、「人の話を聞くのが仕事とはいえ、どこまでその人の痛みがわかるのか」と自問し、「記者という職業に悩ん」だこともしばしばだったという。定年退職後、「主夫」となり、「母のぼけ」と向き合った著者は、ひょんなことから特別養護老人ホームで働くことになる。この本において、著者は、ホームでの一人ひとりのお年寄りとの出会いと別れを通して、人間が人間をケアするしごとの難しさと奥深さを、わたしたちに語りかけてくれる。一見奇妙に見えるお年寄りの行動や言動がある。しかし、その奥には隠されている思いや感情が潜んでいる。ケアをする側のまなざしや思いこみが、その思いや感情を閉ざしてしまうことがしばしばある。著者は、おもらして汚れたパンツを押入のなかに隠す母に手を焼き、幾度となく叱った。そのとき、妻の一言が、著者に母の思いを気づかせてくれた。「お母さんは、パンツを隠そうとしているのじゃないよ。おもらししたくて、したわけではないでしょ。きっと、息子のあなたに見られるのが恥ずかしかったのよ。いつか自分で洗おうと思って、布団のなかにしまい込んでいるうちに忘れたんじゃないかしら」妻の忠告でハッと目からウロコが落ちる思いをした著者の態度の変容とともに、お母さんもまた変わった。「汚れちゃったっんだけれど。おふろ場に置いといたよ」と言ってくれるようになったのだ。著者はいう。「母への介護を通して、人のお世話をするということは、『される人』を変えるのではなく、『する人』が変わることで」あると。わたしにとって、心にしみいるとともに、深い反省を迫られる一冊である。