『宮崎勤精神鑑定書−多重人格説を検証する』

瀧野隆浩(講談社、1996)



 著者の瀧野隆浩は、1960年生まれの毎日新聞の記者。記者として、偶然、宮崎勤の第4番目の殺人事件にかかわった著者は、さまざまな思いを胸に、この事件の真相を探っていく。著者はその思いを次のように語っている。
 「私は警察担当記者として発生段階でこの事件を担当した一人だった。複雑な思いはある。ふつふつと煮えるような思いも、心の底にある。しかし、『宮崎勤』という凶悪かつ訳の分からない人間の、暗くて深い心の森に分け入るために、いったんその『複雑な思い』をしまっておこうと思った。できるだけ心を静めて、この鑑定書を読み進めようと肝に銘じた。…胸が痛む箇所もある。溜め息をつきたくなる部分もあった。それはとりもなおさず、『いまの日本社会』の見えにくい問題であり、陰に潜んでいる脆弱さのようなものを突きつけられた感じがする。」
 この事件は、1988年から89年にかけて起こり、東京、埼玉の幼い子どもをもつ親たちを震撼させた事件だった。当時、大学生だったわたしは、卑劣な犯行の手口に憤りを感じたことを覚えている。部屋に積まれたビデオの山、ここからオタクという言葉が流行した。異常性欲のための殺人だという言説が流布し、わたしもそれを信じていた。ところが、この著書を読み、宮崎勤には、性欲と呼べるようなものは全然なかったという驚くべき事実に遭遇した。今までわたしは自分に理解可能なように、勝手にあの事件をゆがめて落ち着かせていたのだ。この事件から8年後、神戸で人々をさらに震撼させた事件が起こった。この事件についても、少年は異常性欲の持ち主だというような言説が盛んに語られている。また、同じ轍を踏むのか。わたしは、この著者と同じように、同じこの時代を生きるものとして、宮崎勤や酒鬼薔薇聖斗がなぜあのような犯罪をしてしまったのか、なんとしても知りたい。それは彼らの罪を弁護するためではない。この時代が発している警告に耳を澄ましたいからだ。彼らの罪は裁かれなくてはならない。しかし、彼らの存在をきちんと受け止め、その精神世界の闇を明らかにすることはどうしても必要である。彼らの精神世界の闇を解くことなしには、彼らは自らの罪と向き合うことすらできないのだから。戦慄する事件から何も学ぶことなく、彼らを葬り去ることこそ、わたしたちの生きる世界の規範の危機につながるのである。
 この著書は、宮崎勤の精神鑑定書を丹念に読みつつ、その生育歴、そしてこころのありように迫った力作である。家族の怖さ、子どもの心の傷の深さ、自らの弱さをさらなる弱者に転嫁させる文明の道具など、現代の闇について考えさせられる一冊である。