『子どもたちはなぜ暴力に走るのか』

芹沢俊介(岩波書店、1998)



 本書の著者である芹沢俊介は、高度経済成長以降の家族をめぐる問題、子どもをめぐる問題に取り組んでいる。『子どもたちはなぜ暴力に走るのか』は、『現代<子ども>暴力論』に続いて、1990年代後半の子どもの“荒れ”の状況を分析した著書である。神戸の酒鬼薔薇聖斗事件に衝撃を受けた著者は、独自の「イノセンス」という概念を分析装置として、現代の子どもたちのむかつき、キレ、暴力に迫っている。著者の「イノセンス」の概念を簡単に説明すると次のようになる。誕生のとき、子どもはわけもわからずこの世に産み落とされるという根源的な暴力を受ける。本人の意思とは関係なく、暴力的にこの世に産み落とされたという点において、子どもは根源的に「イノセント(無垢)」である。誕生の暴力を受け止め、決してそのままでは自分自身が責任を負う必要がない自己の存在に責任をとれるようになるためには、まず他者から自己の存在がまるごと受けとめられなくてはならない。そうでなければ、子どもは「イノセント(無垢)」な自己から脱皮することはできず、自らの責任の主体となることはできない。
 現代は、子どもがありのままでは受け容れられにくくなっている時代である。幼い頃からお稽古事や早期教育に巻き込まれるということは、誕生からわずかにして、できる・できないという条件つきの世界に入れられることを意味する。こればかりではない。生まれる前から避妊や胎児、受精卵検診など、すでに条件つきの世界が始まっているのだ。条件つきの受容は、大人の側には都合がいいが、子どもにとってはいつも不安定さにさいなまれるということを意味する。そして、受容されない以上、いつまで経っても自分がこの世に存在することを主体的に引き受けることはできないのである。「イノセンス」の概念は根源的なトラウマを引きずっているかぎり、責任の主体になれないということを教えてくれる。これは子どもの暴力、アダルト・チルドレンの理解につながるだけではなく、日本の侵略戦争についての昨今の言説を理解する手だても示している。