『火車』

宮部みゆき(新潮文庫、1992(文庫1998))



 先週に引き続き宮部みゆきの作品。この『火車』は、カード破産を題材にした小説である。この小説もまた怖い。現代人のアイデンティティとは何なのか。社会に巣くう悪を描きながら、わたしたちがわたしたちであるという証拠はどこにあるのかという問いを突きつける作品である。わたしは大学で教育学を教えていて、学生から「なぜブタは殺していいのに、人間を殺してはいけないのか」という質問を受けることがときどきある。彼らはわたしをバカにしているのではなく、本気でこの問いに答えが出せないでいるようなのだ。わたしたち大人は、この問いに対して、それぞれのきちんとした答えをもち、子どもたちと向き合っていかなくてはならない、そういう時代に突入したように思えるのである。わたしは、この問いへのわたしなりの答えが、『火車』の中に隠されていることに気づいた。悲しむ誰かがいるから、わたしたちは人間を殺してはいけない。そして、悲しむ誰かがいるから、自分は大切だ。逆にいえば、その死を誰も悲しまない世界の中に放り出されたとき、「なぜ人間を殺してはいけないのか」という問いが生まれてくるのではないだろうか。恐るべき事態が生まれつつあるのである。