『人は何で生きるか』
トルストイ(岩波文庫)
五木寛之の『人生の目的』という本が売れているらしい。バブルの頃なら売れなかったような本が今売れている。世紀末だからなのだろうか。トルストイもまた19世紀の終わりに、民話の中に「人生の目的」を求め、深い沈思のなかで書き綴っていった。トルストイ自身、出奔し野に斃れるという最期を遂げており、「人生の目的」は遠い課題であった。それでも、人は「人は何で生きるか」を考え続け、次の世代に託し、この1999年まで生き抜いてきた。このことが何よりもすごいことだと思うのだ。人類の歴史が駅伝のようなものであれば、たすきを受けた私たちは最善を尽くして走り、次のランナーにたすきを渡さなくてはならないはずだ。あれこれ寄り道をし、環境破壊、エネルギー資源の乱用と次のランナーの分まで奪っているのはおかしいことなのだ。あるいは、私たちは、おそらく農耕を始めた弥生時代以降、次のランナーの分まで奪いながら生きてきたのかもしれない。これが20世紀の科学技術の進歩で搾取が甚だしくなり、究極の地点にまでたどり着いたのだろう。次のランナーにたすきを渡すという意識は、私たちがチームであるという意識がなければ成立しないことである。バラバラの個人では駅伝は成り立たないのだ。私たちは壮大なチームの一員である。このことを抜きに、「人生の目的」など見出し得ないと思うのだ。