『二十歳のころ』
立花隆+東京大学教養学部立花隆ゼミ(新潮社、1998)
前二週間にわたって戦争体験の継承と戦後責任という重い課題に向き合ってきたが、この課題への入り口は、耳をすますというところにあるように思われる。今週、紹介する立花隆とそのゼミナールの学生たちによる力作『二十歳のころ』もまた、大学の教育実践において、耳をすます技法−人の話を聞き、それを自分の身体のなかで自らの体験と共振させ、編集するプロセス−に取り組んだ結果の果実である。
本書では、68人の「有名無名」の人々の20歳前後の経験がインタビューによって引き出されている、いわばライフヒストリーのアンソロジーである。立花隆の威光がバックにあるとはいえ、対象となった人々は、大江健三郎、川上哲治、黒柳徹子、筑紫哲也、鶴見俊輔、樋口可南子氏などそうそうたるメンバーである。そして、それぞれの20歳前後の経験が多種多様で読み物としても面白いのである。輝ける秀才だった科学史家の佐々木力氏のような人生もあれば、東京都の教育委員に委嘱された将棋の米長邦雄氏が20歳のころ「悲願千人斬り」といって千人の女性と寝る目標に向かって邁進していたことを知ることもできる。インタビュアーによってどのような語りが引き出されるかが決まる。ライフヒストリーでは、ある人の業績そのものではなく、業績を生み出した深い背景がさまざまな切り口で立ち現れてくる。この企画では、20歳前後の学生がインタビュアーであるということが、対象者が胸襟を開いて語ってくれるというプラスの面に働いたようである。それにしても、人の人生は面白い、そしてまた人生が物語られるプロセスは、私たちを惹きつけてやまない魅力をもっている。