『「家族」と「幸福」の戦後史−郊外の夢と現実−』

三浦展(講談社現代新書、1999)



 教育について考えていくと、どうしても突き当たる問題が“家族”というテーマである。家庭でのしつけがなっていないから教育が崩壊しているのだというような皮相な意味での“家族”の問題ではない。“家族”がなぜ教育システムに巻き込まれ、“家族”の成員の生きる目標が“家族”のちっぽけな幸せに閉ざされてしまったのかという問いである。本書は、郊外に持ち家をもつ「幸福」な家族が、消費社会を支えるユニットとして大量生産されていったプロセスを明らかにすることによって、この問いに向き合っている。
 一橋大学社会学部を卒業ののち、パルコに入社し、三菱創研を経て、家族論、郊外論を展開している著者は、1958年の生まれである。高度経済成長以前の長屋ぐらしの感覚が著者の深層に残っているようであり、その感覚が仕組まれた高度経済成長を明らかにする上で大いに力を発揮している。1939年にニューヨークで開催された万博は、それまでの博覧会のように生産と最先端の科学技術ではなく、消費とコミュニティー、未来のくらしがテーマとなったという。第二次世界大戦を迎えて、ファシズムとコミュニズムに対抗するために、アメリカは消費による幸福をプロパガンダ(宣伝)していったのである。これは冷戦の時代にも引き継がれ、郊外住宅開発のさきがけとなったレヴィットの「誰でも自分の土地と家を持てば、共産主義者にはならない」という言葉は、“家族”というユニットの神聖化と郊外の住宅建設が政治的な働きかけによって行われたことを明らかにしている。日本では、アメリカから遅れ、1960年代に入って団地、郊外、専業主婦が憧れの対象となりはじめる。政策的にも、1961年に配偶者控除制度が始まり、1962年に中学校の職業・家庭科が廃止され、女子が家庭科、男子が技術科となるなど、専業主婦化を進める政策が相次いで実施されるのである。
 本書は、郊外の幸福な家族がこのようにして大量生産されたが、この計画には大きな欠陥があって、現在そのほころびが頻出していると論じている。酒鬼薔薇聖斗事件も典型的な郊外で起こった事件であった。さて、「郊外の幸福な家族」計画の重大な欠陥とは、一体何であったのだろうか。それは、私は、共同性の欠如=労働、生産の欠如であったと思われる。筆者がそうであるように、私は長屋が好きな人間である。このHPで紹介しているように古い都営の長屋でくらしていたとき、そこには草取りがあり、ドブさらいがあり、協働の喜びがあった。もちろん、古い都営もまた1960年代の建築物であったわけだが、おそらく貧乏人にはそんな予算をかける必要はないという思惑があったのだろう、スマートな団地とは違った、風呂なし3Kの間取りであった。公団と都営とでは、その役割は大きく違っていたと思われるのである。全国を労働者として流れわたってきた人、苦労を重ねてきた人、自営業の人、さまざまな人がそこにいて、長屋の人々は、つくづくたくましかった。そこでは安心してすまうことができた。人は自分の幸せだけを願って生きていくことはできない。幸せ家族を演じることは、反転すれば、家族が煉獄になることを意味している。歴史はあるシステムが終わったときに書かれるものだという。近代家族を対象とする著書が相次いで出されていることは、幸せ家族に幕を告げ、新たな関係性への旅立ちのときが到来したということであろう。本書は、時代と自分との距離を自覚しつつ生きることの大切さを改めて感じさせてくれる一冊であった。