『家族依存症』
斎藤学(誠信書房、1989/講談社文庫、1999)
本書の著者斎藤学は、1941年生まれの精神科医。アルコール依存症の問題に取り組み、家族機能研究所を開設するほど、臨床的な観点から家族問題を捉えるスペシャリストです。
仕事中毒から過食までという副題のつく、この本は、共依存という考え方に基づきながら、現代のわれわれが誕生から学童期、思春期、青年期、結婚、成熟というライフサイクルを生きる上で、直面する家族関係の課題について、わかりやすく解説した一冊です。紹介された事例の中に次のような一節があります。
「A子の幼児期というのは母親の顔色を読み、父の機嫌をうかがうという緊張した毎日だったわけですが、こうした暗い思い出の中に、そこだけポッと明るい部分がありました。それは病気をしていた時の思い出です。寝込んでいるA子の顔を『おっ。どうした?』とのぞきこむ父親の顔は、その時だけ恐くありませんでした。母親も心配そうにのぞきこんで、こうして、そろって自分のことを心配してくれる両親の顔は、A子に得も言えぬ安心感を与えました。」
この一節を読み、自分も同じような体験をもっているという人たちも少なからずいるのではないかと思います。A子は表向きは親の期待通りの穏やかな良い子として成長しながら、その裏には言いようのない絶望と怒りが蓄積され、この裂け目から過食、拒食、自傷行為、アルコール依存といった問題行動が湧出することになります。ここで斎藤学は言います。
「A子に拒食や過食やアルコールへの耽溺がなかったら、彼女はもう、この世にいなかったかもしれないのです。」
わたしたちがおのれの意志で生きることはできない幼少期に、安心して生きることができなかったために受けた心の傷は、ここまで深いものなのです。こうした心の傷が、日本型企業社会とセットになった母子依存のカプセルによって、くりかえし生産させられているとしたら、何と不幸なことでしょう。学生相談の仕事をする中で、父と母の不仲を自分のせいにして、その橋渡し役になろうと懸命に生きてきた子どもたちが、大学生となり、父母から自立する時期に、心の病にかかる例をいくつか見てきました。この本を読み、わたしたちの歩みを振り返ってみることで、“しつけ”の復権だけで今の家族と子どもたちの育ちの危機が解消するというのは、幻想であり、病根がいかに深いことかがわかります。“怒り”が正当に発揮されなかったために蓄積した“恨み”と“恐れ”の地獄の中から自分を救い出し、自己評価を高めていくこと、これが共依存のぬかるみから脱出する一つの道であるように思われます。