『家族の伝言』

毎日新聞社会部(毎日新聞社、1999)



 この本は、毎日新聞の記者たちが「自分の生き方を重ね合わせて、家族の『現場』を歩いた」世紀末のさまざまな家族のかたちの記録である。今、家族について語るときに、大上段から「家族かくあるべし」という言い方をされると、何か素直に受け取れない。「父性の復権」など聞くと、「勝手にやれば」という気持ちになる。自分の親がそんなことを言い始めたら、おそらくぶんなぐってしまうだろうが、今のところそれだけは口にしないので立派である。そもそも柄にもなく急に「父性の復権」風を吹かせることは最悪の選択だ。子どもは大人の一貫性を見ている。親が自分らしくしっかり生きていれば、それが一番の教育力になるように思う。
 さて、この『家族の伝言』で好感がもてるのが、記者たちが署名記事において、自らの親子関係を見つめながら、対象と出会っているところである。現代の家族について、わたしたちは解をもっていない。この認識のもとに、多様な家族と出会う中で、記者たちの心の揺れが読みとれる『家族の伝言』は、現代を語るすぐれた作品であるように思われる。「<「大家族の小さな家」に出てくるような父親にはなれない>東京の機械工場に働く勉さん(四四)=仮名=は胸中で長くそのことに苦しんできた」という書き出して始まる一章がある。同じ家に住みながら五年間も顔を会わせていない父と娘。拒食症の娘と向き合える日をめざして、自分のとらわれと妻との関係を編み直していく勉さん。想像を絶するような世界がそこにある。これに対して、記者は次のように綴っている。「私の場合は母だった。小学校の時、理路整然と口ごたえした私に母は『あんたが怖い』と言った。『怖い』と言われ、傷ついた私は母に本音を言えなくなった。本当の自分は愛してもらえないかもしれない、とおびえた。伝えたい言葉をいつも飲み込んできた。五年前に母が死に、伝えたかった言葉は行き場を失った。そんな私だから本音でぶつかり合う勉さんの家がまぶしい。うらやましいとさえ思う。」自分の経験に重ね合わせ、家族のシビアな姿に一筋の光を見る目がここにある。説教よりもずっと温かく、勇気づけられる。