『江戸・水の生活誌−利根川・荒川・多摩川−』
尾河直太郎(新草出版、1986)
近世における多摩地方の水と人々のかかわりを調べようと思って手にとったのがこの本である。水の問題を子どもたちに自分の問題としてとらえさせるにはどうしたらいいかという、授業実践における問いから出発しているだけに、水をめぐる人々の歴史から私たちの今の状況が照らし出される叙述になっている。著者は、近世の人々と水との関わりを次のように述べている。「江戸時代の人は天から降る雨の質と量をどのように安定的に確保し、それを生活に利用し、また自然に帰していくかに心を砕いた。水流という無公害・ローコストの自然エネルギーを、舟運や水車などに巧みに利用した。江戸とその周辺の農村は、生産されたものを単に消費するだけでなく、都市のカマド灰や古金物が農村の肥料や農具の原材料となるというように、生産−消費−生産のリサイクルの環で結ばれていた。」たしかに石油が登場する以前は、ゴミと呼ばれるものはほとんどなかったにちがいない。
これに対して、現在は「雨はアスファルトの上を流れて下水に流れこむ。地下水として残ったものも工業用水として汲み上げ、汚染し、そして下水へ。どうしたら汚水を早く海に捨てるかが技術の見せどころ。そして海水汚染。消費によって生まれた廃棄物は山となり、自治体は処理に頭を抱えている。食品も大規模生産、巨大消費、長距離輸送、長期保管のためにすべて薬づけ…」。この本に引用されている「現代社会はトイレのない高級マンションだ」ということば。この本が書かれて14年後の今、トイレの代わりの押入から汚物が逆流しようとしている。
江戸時代、人々はただ自然の中に暮らしていたわけではなかった。武蔵野では、日々の生活を支えるために、人々は里山を作り、そこで雑木林を育てていった。そこで得られる薪は冬の暖房となり、下草は肥料となった。奈良時代にヤマトの中央集権政府によって荒らされた武蔵野を、生まれ変わらせたのは、江戸時代の人々の力だった。自然を破壊するのも人間ならば、自然を再生するのも人間である。水と人々のくらしの歴史は、私たちの歩むべき道をはっきりと示してくれる。