『水の文化史−四つの川の物語−』
富山和子(文春文庫、1990)
以前読んだ本を再読するとき、かつて経験したとき以上に本に輝きを感じると、うれしい気持ちがわき上がってくる。風雪にも色褪せることのない著者の文章の力を再認識するとともに、自分自身の見つめている世界の変化にも気づかされる。この『水の文化史』は、ちょうど私が卒論を書いていた時期に、卒論で扱った授業の題材を理解するために読んだ本だった。そして、10年あまりの歳月が経ち、「水」と「川」についての関心がわき上がってきた時期に、再びこの本をとった。驚くべきことに、土砂の堆積によるダム機能の低下、ダイオキシン等による水質の汚染、愛知県の水害など、水行政のさまざまな破綻を、この本は予見して警告していた。
富山和子の文章は、読者をぐいぐい引き込む。その文章には緩急があり、まるで上流から中流、下流と違った風景に飽きさせない川の流れのようである。告発をするというようなチンケなものではなく、悠久の歴史を生きてきた川に語らせるというような、大きさがある。著者が川と人々のくらしのかかわりをとらえる枠組みの一つに、「柔構造と硬構造」というものがある。つまり、川を敵(かたき)として、かみそり堤防やダムなどによって押さえ込もうとするのが「硬構造」である。「硬構造」では、一つ間違えると、押さえ込まれた巨大なエネルギーが一挙に爆発し、大災害を起こすことがある。イタリアのバイオント・ダムの災害では、一瞬にして3000名以上の生命が奪われている。なんとそれもダムが決壊したからではなく、決壊しなかったから大きな被害が出たのである。このいきさつについてはぜひ本書を読んでほしい。
これに対して、川と共存し、ときには暴れさせながらも、広大な土地に水を貯える治水の方法が「柔構造」である。日本の治水は、歴史的に「柔構造」のスタイルをとってきたという。水田によって、洪水を受けとめ、地に水を貯える。この水は地下水となり、いずれは人々の生活を潤す。このようなやわらかな水と人々とのつながり。これを否定するようになってから、水は人に逆襲をはじめたのである。
この本は水についての本であるが、同時に子ども、教育についての暗喩にもなっているように思われる。