『被抑圧者の教育学』

パウロ・フレイレ(亜紀書房、1979)



 本のページで紹介する本のジャンルにあまりにも節操がなく、いかに私の頭がごちゃごちゃなのかを露呈しているようであるが、今回は、来年度のゼミナールに向けて、少々準備している本を紹介したい。
 パウロ・フレイレの『被抑圧者の教育学』は、教育学関連の本のなかで私が感銘を受け、自らの教育方法を省みる人の拠り所としている本の一冊である。本書の解説によれば、パウロ・フレイレは、1921年にブラジル北東部ペルナンブコ州の州都レシフェで生まれている。フレイレの母は、柔和なカトリック教徒であり、父は、一定の教養を身につけた州警兵であった。フレイレは、のちに母の信仰にしたがってキリスト者となる。ブラジル北東部は貧しいモノカルチャーの地域であったが、1929年のアメリカに端を発した世界恐慌によって、壊滅的な打撃を受けている。このとき、フレイレもどん底の生活を経験し、この体験が彼の生き方を決定づけている。成人したフレイレは、成人を対象とする識字教育の実践と体系化に力を注いだ。
 パウロ・フレイレの教育思想では、「銀行型教育」と「課題提起教育」が対置されている。「銀行型教育」においては、知識は貯金することができるものであり、知識のかさの大小によって社会的階層が正当化される。すなわち、そこにあるのは、エリート中心の選別教育である。劣等感、不足感、競争が教育の動機づけになっている。これに対して、「課題提起教育」においては、知識は人間の外側にあるものとは見なされていない。知識は所有できるものではなく、対話の中で立ち上がってくるものである。それぞれの経験をベースに、「問い」を紡ぎ出し、その「問い」を深めていく。フレイレは「課題提起教育」こそが民衆の教育であるという。ここでは、興味、関心、協同が教育の動機づけとなっている。このようなフレイレの思想に出会える一冊である。