『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』
遙洋子(筑摩書房、2000)
発行からわずか4ヶ月で、14刷というから、すごい売れ行きの本である。タレントの遙洋子と頭脳明晰な社会学者上野千鶴子の組み合わせは、確かにインパクトがある。しかし、それだけではない。著者の表現力がダイナミックで、読ませるのである。テレビ的なテンポで本が進み、何となく学問がわかったような気になる仕掛けがある。本書の内容は、本業はタレントである遙洋子が、東大の上野千鶴子ゼミナールに入り、厳しくも温かいしごきを受けながら、フェミニズムのことばを身体化していく、その学びのプロセスを綴っている。
タレント業を続けながら、学問でメシを食おうと考えている大学院の学生たちと混じって、3年間、同等の学びを積み重ねた著者には、頭が下がる。この営みは、私が大学の教員を続けながら、山中監督に頼んで法政大学の野球部の練習に参加しているようなものだ。当然、やれっこない。これをやりとげた著者はただものではない。また彼女は、学問のエッセンスを確かに掴んでいる。「上野千鶴子に社会学を語らせる、という行為は、野球選手に野球を語らせるのとはワケが違う。それは野球選手に食事中、突然、バッティングをさせるのと同じだ。/社会学者は『言葉』のプロだ。だが、『こんにちは』の次にバッティングをさせることの不自然さはわかっても、『言葉』が日常の道具である以上、『こんにちは』の次にプロの技術を強要することに人は違和感を感じにくい。」ここまで学問と学問を担う人間に対する謙虚さをもったことばを聞いたことはなかった。
この本を読むと、影響を受けて、私も厳しいゼミナールをやりたくなる。しかし、それは上野さんだからできること。猿まねほどバカなものはない。表面的な厳しさよりも、その底に流れることばに対する研ぎ澄まされたセンスを学ぶべきだろう。