『続・病院で死ぬということ』
山崎章郎(文春文庫、1996(単行本1993))
夏目漱石がある作品のなかで、明治日本のことを一等国のようなふりをしているが、その実はかえるが腹をふくらませて牛のまねをしているようなもので、いつかきっと破裂するだろうというようなことを書いていた。事実、日中戦争、太平洋戦争を通して、この予言は成就された。戦後、日本社会はめざましい経済復興をとげたが、きらびやかなショッピング・モールの喧騒をはなれ、人が生まれ、育ち、老い、死んでいくというプロセスに思いをはせると、漱石が言っていたことは、今の日本においても無縁ではないように思われる。
『病院で死ぬということ』の著者山崎章郎は、人がその人生の終幕を迎える現場に医師として立ち会い、主人公であるべき死にゆく患者の尊厳が踏みにじられていることに憤りを覚え、ホスピスの仕事に生涯を捧げる決意をする。終末医療は、病気と闘うことよりも、患者の苦痛を抑え、その人生の最期をその人らしく迎えることができるようにサポートすることに重きがおかれる。この思想を共有する専門家たちと愛する人々に囲まれて、人生の終幕を迎える人たちは、いつわりのない安心感のなかでその生涯を終える。人の誕生が神秘的な体験で、その瞬間、誰もが祈らずにはいられないように、人の昇天もまた、神秘的な体験であろう。たしかに、病や老いと闘うテクノロジーが私たちの生き方を豊かにしたところがあるにちがいない。しかし、病や老いを受け入れるためにテクノロジーが用いられるならば、私たちの生き方は格段に違ってくるだろう。