<東大野球部について>
私は東大野球部のファンだ。弱小チームが甲子園のレギュラーを揃えるほかの六大学の強豪チームを相手にたたかうところに、スポーツの醍醐味がある。さて、東大野球部は弱い弱いといわれるけど、決して弱くはない。現在、立教には4連勝中だし、しばしば5位に上昇することだってある。70連敗していた時代からみると、今は黄金時代のようなものだ。
東大野球部の救世主となったのは、平野裕一監督である。平野監督は、現役時代には、外野手として活躍し、打撃ベストテンに入ったこともある。大学院生時代に、はじめて監督となり、早・慶から勝ち点を挙げて、最終週まで優勝争いに加わったという。残念ながら、このときは私はまだ九州にいて、神宮には行けなかったが、東大は4位にくいこんでいる。大山という好投手がいたはずである。
この後、国立高校のエースで都立高校を甲子園に導いた市川が7勝と活躍したが、市川の卒業後、東大はなかなか勝てなくなる。慶応から199勝目を挙げてから、長い長いトンネルが待ち受けていた。つらかったのは、ロッテにいった小林至投手たちの学年である。小林至投手の最後の年は、外野手の青野が打撃ベストテン2位に入るなど、一人ひとりの選手の能力はなかなか高かったのだが、負け続けるあせりからか、運に見放され、とうとう70連敗を記録することになった。あの年は、何度も神宮に足を運んだが、いつも惜しい試合だったことを覚えている。ショート柏木、サード小林などいい選手が揃っていたのに、残念だった。
この翌年、主力選手が抜けて、さらに連敗が続くと思われた春のリーグ戦で、久しぶりに采配をとった平野新監督の下で、東大は71連敗を阻止し、通算200勝目を挙げた。私は、NHKラジオで聴いていたが、まるで優勝したかのような騒ぎであった。前期優勝の立教のエース高橋一太郎を打ち崩し、連打で4点を奪っての4対1の快勝だった。翌日のスポーツ新聞の一面は東大の200勝で飾られた。
この年から東大はコンスタントに勝ち星を挙げるようになった。平野監督の就任の年の1年生には、センターの濤岡、サードの片山、セカンドの石田、キャッチャーの北村など東大の野球部としては近年にないタレントをもつ選手たちが揃っていた。彼らは2年次から主力となり、東大旋風を巻き起こした。なかでも法政から50年ぶりに勝ち点を挙げたことは、とても印象に残る出来事だった。法政から2勝し、勝ち点を挙げるなど、しばらく前には考えられなかったことだった。濤岡らの次の年に、高橋という小さな大投手が入部し、打倒法政の原動力となった。高橋は、右の横手投げで、気迫あふれる投球が売り物だった。インコース高めで勝負をする高橋は、アマ・プロの交流戦で、元広島の西田から三振をとったこともある。
余談だが、今や大学野球界のエースというべき明治の川上は、デビュー戦で、いきなり先頭打者の北村にホームランをたたき込まれ、自信喪失に陥っている。この北村のホームランを、私はライトスタンドで掴んだのであった。(アマチュア野球なので返却しなければならなかったが)
平野監督の下、東大野球部は、早稲田の織田(現巨人)、三澤(現巨人)、立教の川村(現横浜)などの錚々たる投手から勝ちをもぎとった。中でも、濤岡らの最後のシーズンの最終戦となった立教との3回戦では、立教のエース川村を粉砕し、12対1で快勝、久々の単独5位となった。この試合は神宮で観戦したが、東大の猛攻に鳥肌がたつぐらいだった。
濤岡らの卒業後、粒は小さくなったが、次の主将の間宮が首位打者となるなど、奮闘は続いている。現在は、平野監督のあと、伊奈学園総合高校を甲子園に導いた三角監督が、教職を辞め、生活をなげうって、監督を務めている。目標は悲願の優勝だという。かくも東大野球部は魅力的なのだ。
1997年の春からは、UHFのMXテレビで東京六大学の実況生中継が始まった。感激のあまり、投書をしたところ、番組中に読まれて、恥ずかしい思いをした。記念すべき実況生中継の最初のシーズンで、東大は立教から逆転サヨナラ勝ちという快挙をなしとげた。これもテレビの前で飛び上がった。2年生左腕の遠藤と、3年生右腕の氏家という両輪が揃う秋のリーグ戦は、面白い戦いなるだろう。ぜひ、一度神宮に足を運んで、観戦してみてほしい。神宮に行けない方は、MXテレビでぜひとも観ていただきたい。手垢のついた高校野球やプロ野球では味わえない、裸足の感動がきっと味わえるであろう。
このページを作ったのは、MXテレビの放映を観ることができない地方の東大野球部ファンの方々に、東大の奮闘を伝えたいという気持ちからであった。地方に住んでいると、なかなか神宮に足を運ぶことは難しいのだが、このページを見つけて一緒に応援していただけると幸いである。