書き方表現法

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「カリスマ」について
内藤 多栄

  • 私が初めてカリスマという言葉を聞いたのは尾崎豊についての時であった。「若者のカリスマ、尾崎豊死亡」。私には全く意味が分からなかった。母にとってのカリスマは原節子であった。
  • 本来のカリスマの意味は「超人的な資質や輝きを持つ人」のこと。ひと昔の日本には、とびきりの美人美男がいた。一般市民には到底似合わない服を着こなして、一般生活には不釣り合いな髪型をしていた。たしかに彼、彼女には「カリスマ」という言葉があてはまったであろう。しかし、今話題に挙げられるカリスマ達はどう見ても「超人的」でも「特別な輝き」を持っているわけではない。彼等達は限り無く私達に近く、少し背伸びをすれば誰でも手が届く距離にいる。「カリスマ」はいつの間にか「手の届かない」ものから「共感できるもの」へ、そして「なれそう」な存在になっていたのである。
  • この点において述べられることは、日本の社会が今までになく均一、平均化しているということである。今までのどの時代においても現代日本はそれなりに平等で、現代人は今までになく情報とお金と能力を駆使すればある程度のものを手に入れることができるようになった。しかしまた、それとは相反するように私達には今までになく個人主義を求められてもいる。情報過多の環境の中で思想や憧れの鉾先は無限に増え、国民誰もが知っているヒットソングが生まれなくなったように、万人が認めるモノというものは極端に減少した。自分も個性的でなければならないという強迫観念に迫られながら、私達は常に雑多な情報の中で何かを見つけ求め、むさぼるようにあさりつづけている。そして少しでも個性的になるようにと個性を提供してくれるそのたった一人のところへ殺到する。その結果、カリスマもそのニーズに答え、より局地的に、より多岐に渡って分散発生することになるのである。
  • カリスマは個人主義が求められる今の社会の中での全体主義といえる。本来のカリスマの意に沿った人物の不在も手伝って、もうしばらくは等身大のカリスマ、手ごろなカリスマが出回るのであろう。



    林佳菜子

  • 夏休みの暇な昼時にテレビをつけてボーッと観ていると、ワイドショー番組では 「カリスマ美容師」だとか「カリスマホスト」とやらにスポット当てた特集がやたら と目に付いた。近頃、この“カリスマ”というものが世間を騒がせているようである。
  • 最近までカリスマと言う言葉で私がパッと思い浮かべるのは、何年か前にビジュアル系バンドの元祖とも言われるX-JAPANのhideが亡くなった時の光景だ。葬儀でのファン参列者の行列は新聞の第1面にとりあげられ、後追い自殺をするファンも続出した。別にファンでもなく“そんな人もいるな”位でしか彼の存在を知らなかった私からすると、彼の死そのものよりも彼が死んだことにより巻き起こった一連の騒動の方が驚くべきことであった。そこで改めて、一部の人間(ファン)からすると彼はとても強い影響力をもつ大きな存在であったのだということを知った。そんな時私の口から出た一言、「hideはカリスマ的存在なんだね。」
  • 現在、もはや流行語ともいうべき「カリスマ」。ワイドショーや雑誌では、誰もがまるでわかりきったかのように口にしているが、この言葉の意味とは本来何なのだろう・・。愛用のカタカナ語新辞典を引いてみた。カリスマ[charisma]《大衆を指導 し、心服させる超人的な資質や権威》とある。使われ方の用例としては《カリスマ的支配》《カリスマ的存在》の2つがあった。この意味や使い方からすると、カリスマとは人の上に立つ権力者に対して使う言葉のようである。政治や宗教などの歴史上での人物に当てはまる人が多そうだ。
  • となると私が思い浮かべたhideも少しずれている気はするが、それよりも美容師やホストに使うのは明らかに間違っているのではないか。何故そのような使われ方が広まっていったのか?誰が言いだしたのか?謎である。おそらく多くの客をとることができる実力=資質や権威がある、という意味なのだろう。しかし、人間の思考や行動を大きく揺り動かす程の存在とは思えない。その点hideはあてはまるかもしれない が、どちらにせよ、この「カリスマ」という言葉そのものを重くとるか軽くとるかという感覚の差異により、使われ方が違ってしまうのではないだろうか。言葉は時代とともに常に変化していくものだと考える私は、今まで通りに使っていこうと思う。


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